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'''梁川藩'''(やながわはん)は、[[江戸時代]]の一時期、[[陸奥国]][[伊達郡]]に存した[[藩]]。現在の[[福島県]][[伊達市 (福島県)|伊達市]][[梁川町]]鶴ヶ岡の[[梁川城]]跡に[[陣屋]]を置いた。当初は[[尾張藩]][[尾張徳川家|徳川家]]の[[支藩]]([[御連枝]])。後には一時、[[蠣崎氏|松前家]]が入封した。
== 前史(江戸幕府以前) ==
=== 鎌倉・室町時代 ===
梁川城は、4代[[伊達政依]]のころから、[[天文 (元号)|天文]]元年([[1532年]])に[[伊達稙宗]]が[[桑折西山城]]へ移るまで、300年弱にわたって伊達氏の本城だったと考えられている<ref group="注釈">ただし文書上で明確なのは11代持宗 - 14代稙宗。</ref>。城の北方には伊達氏の氏神の梁川八幡宮があり、また、近隣には京都五山に倣って伊達政依が創建したとされる[[伊達五山]]と称される寺院があった<ref group="注釈">現在の福島県伊達郡[[桑折町]]、伊達市にあった。伊達氏が本拠地を移すと米沢、会津、岩出山へと一緒に移転され、現在の仙台市の[[北山五山]]へとつながる。</ref>。伊達氏が伊達郡の地頭職、後には奥州探題職などを得たことにより、伊達郡のみならず、福島盆地全体(伊達郡と[[信夫郡]])、あるいは南奥州の要として栄えた。<!--郷土史家の間では、伊達市梁川と[[福島市]]大森(伊達氏の支城であった[[大森城]]があった)は中世史跡の宝庫と言われる。-->
伊達氏の居城が桑折西山城、さらには[[米沢城]]に移った後も梁川城は領内の重要拠点として機能し、一族や有力家臣が城主となっていた。
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== 沿革 ==
=== 米沢藩重臣の統治時代 ===
[[上杉氏|上杉家]]は、信達(しんたつ)の両郡には郡代や奉行として佐藤氏や小笠原(古川)氏を置き<ref group="注釈">佐藤家忠は福島を本貫とする地侍(信夫佐藤氏18代目)。古川重吉は信濃衆(更級郡塩崎城主・小笠原氏の出身)で不仲だったという説もあるが、現在は西根神社に、信達総鎮守として共に祀られている。</ref>、信夫郡の[[福島城]]、伊達郡の[[梁川城]]など両郡内の支城には、本庄氏や春日(香坂)氏、須田氏、芋川氏などを城主(城代)として統治させた。
[[寛文]]4年([[1664年]])、上杉景勝の孫・[[上杉綱勝|綱勝]]が、子供の無いまま急死して断絶の危機を迎えたが、綱勝の舅[[保科正之]](3代将軍[[徳川家光]]の実弟)の尽力により、綱勝の甥で妹婿[[吉良義央]](上野介、扇谷上杉家の[[女系]]子孫)の子の[[上杉綱憲|綱憲]]が綱勝に養子入りした結果、半知15万石で家名存続することを許された。その際、梁川城を含む伊達郡・福島城の信夫郡・高畠城のある置賜郡屋代が公収された。
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
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