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: <small>将門</small>「そいつはよかろう。お前が負けたときにぐずぐず文句を言わないようにしろよ」
: <small>偽公卿・甲</small>「われら両人は俵曲持<small>(たわらのきょくもち、俵を使った曲芸という意味)</small>と借上上塗<small>(かりのうえのうわぬり、恥の上塗りに掛けている)</small>と申します。以後、お見知りおきくださいませ」
: <small>偽公卿・乙</small>「近頃評判の俵藤太とはお前のことか。わしはこんにゃく島([[霊岸島]])の通人で名を南鐐のお大臣と申す<ref>{{refnest|group="注釈"|「南鐐」とは安永元年(1772年)から通用した[[南鐐二朱銀]]のこと。8枚で1両となる。こんにゃく島(霊岸島)にいた私娼は二朱、すなわち南鐐二朱銀1枚で買えたので、安上がりな遊び人のくせにお大尽(大臣)という滑稽な名前<ref name=p150>『日本古典文学全集』46(小学館)150頁。</ref>。}}。以後、お見知りおきくだされ」
: <small>秀郷</small>「どいつもみな変な名だ。大文字屋の帳場の塗り札にあるような名だ<ref>{{refnest|group="注釈"|大文字屋(市兵衛)とは当時の吉原の狂歌グループの中心人物で、狂歌名は加保茶元成。その大文字屋の帳場にある名札に書いてあるような名前の連中だといった<ref name=p150>『日本古典文学全集』46(小学館)150頁。</ref>。}}
 
'''③''' 将門は、早わざに負けたら味方になろうという秀郷の話を本当と思い、自分の早わざを見せようとしてひとりで七人前の[[膾]]を作ってみせた。人には見えないが六人の将門の分身も後ろで手伝う。
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'''④''' 将門は料理には負けたけれど遊芸では負けるものかと、七変化の所作事を踊ってみせた。
: <small>将門</small>「秀鶴に杜若を兼ねた身ぶりはたいしたものだろう」<ref>{{refnest|group="注釈"|「七変化」とは歌舞伎の舞台でひとりの役者が次々と七つの違う役に変わって踊るもので、このように複数の違う役をひとりで続けて踊り分ける演目を「変化舞踊」という。「秀鶴」は[[中村仲蔵 (初代)|初代中村仲蔵]]、「杜若」は[[岩井半四郎 (4代目)|四代目岩井半四郎]]のこと。いずれも踊りの名手とされた人気役者で、四代目半四郎は天明7年の[[桐座]]で七変化の所作事を演じ好評を博している<ref>『歌舞伎年表』第五巻(伊原敏郎 岩波書店、1960年)49頁、『日本古典文学全集』46(小学館)152頁。</ref>。}}
ここのところは「大出来ぬ大出来ぬ」と書きたいところだ<small>(当時の役者評判記では、よくできた芝居は「大でき大でき」といって誉めたので、その反対だと茶化した)</small>。
: <small>秀郷</small>「あまり自惚れたことを言いなさんな。女郎に振られたいのかい」<small>(自惚れ客はとかく女郎に振られる)</small>
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'''⑥''' この時将門は文字の早書きだったら秀郷もかなうまいと思い、自分の分身を使って「七ついろは」<small>(いろは四十八文字のそれぞれに漢字六字ずつを書き並べた本)</small>をいっぺんに書いてみせた。秀郷はそれにも負けまいと『早引節用』<small>(いろは引きの辞典)</small>を使っていろは四十八文字それぞれに漢字七字を引いて見せ、そのうえ「やがらの鉦」を一度に打ってみせた。
: <small>将門</small>「やがら無性に<small>(「やたら無性に」のしゃれ)</small>鉦を打ってるがいいぜ」
道中双六と市村羽左衛門の所作では見たことがあるが、やがら鉦というものは目の回りそうなものだ<ref>{{refnest|group="注釈"|「やがら鉦」とは叩き鉦に紐をつけたものを八つ、腰に結びつけ、左右に振りながら両手に持った撥で打つ芸。「市村羽左衛門」は[[市村羽左衛門 (9代目)|九代目市村羽左衛門]]のこと、その「所作」というのは天明5年(1785年)3月の[[中村座]]でこの八丁鉦(やがら鉦)を使った所作事を勤め、これが大評判となったことを指す。[[明和]]4年(1767年)11月、[[市村座]]の[[顔見世]]でも九代目羽左衛門は八丁鉦の所作事を勤めており、これも大評判となっている<ref>『歌舞伎年表』(岩波書店、1960年)第四巻30 - 31頁、第五巻4頁。</ref>。}}
 
'''⑦''' 将門は秀郷にやりこめられて大層いらつき、みずから化物の正体をあらわしてしまった。
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と七つの姿を現してみせた。
: <small>将門の分身たち</small>「どうだ不思議だろう」
: <small>秀郷</small>「雛人形のお内裏様をたくさん虫干しするのを見るようだ。親王命をあげ巻の~じゃあねえかい<ref>{{refnest|group="注釈"|歌舞伎十八番『[[助六由縁江戸桜]]』で使う[[河東節]]の一節、「しんぞ命をあげ巻の、これ助六が前わたり、風情なりける次第なり」のもじり。親王将門が秀郷に命をささげると茶化してる<ref>『日本古典文学全集』46(小学館)154頁。</ref>。}}。今年は公卿の当たり年だい。しかし、公卿のなかにはだいぶ腐りかけたのもいるみたいだ」
 
'''⑧''' 秀郷は将門の様子を見て、「わたしは姿が八つあるからお前よりも勝っている。お前には見えないだろう。この眼鏡で見てみろ」と、駒形の眼鏡屋で買った八角眼鏡<small>(物が八つに見える数眼鏡)</small>を将門にかけさせて自分の姿を見させた。
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'''⑨''' 秀郷は「約束どおりこの内裏の主であるあなたを追い出して、『この建物売ります』という札を貼って帰りましょう」と言ったので、将門は大いに怒って七人の将門にそれぞれ槍を持たせて秀郷に突きかかった。
: <small>秀郷</small>「女郎屋でも遣りときては面白くもないのに<ref>{{refnest|group="注釈"|「遣り」とは遊郭の遣り手婆のこと。ひとりの女郎に馴染み客が重なり、もらいがかかった場合は他の客に譲らねばならなかったので面白くないと<ref>『日本古典文学全集』46(小学館)155頁。</ref>。}}、このうえどんな槍がでるかわかったものじゃない」
このとき将門は上田紬の着物を着ていたので、これを上田の七本槍という。秀郷は太刀の切り合いではかなうまいと思い、日頃信心する[[浅草観音]]を念じると、不思議なことに雲中に観音様が現れ、千の矢先<small>(千手観音だから)</small>を揃えて将門を射た。観音様も久しく矢を放つことがなかったので、千の矢先のうち九百九十三筋は外れたが、残りの七筋が七人の将門のこめかみを射抜いた。
: <small>観音</small>「ドドン、カッチリという音がしないから張り合いがないね<ref>{{refnest|group="注釈"|当時の盛り場にあった矢場(やば)では、客の放った矢が的に当たるとカチリ、外れると外側に張った皮に当たるのでドドンという音がした。矢を射て的に当てても、矢場のような賑やかしがないのでつまらないなーと、浅草の観音様もおどけた<ref>『日本古典文学全集』46(小学館)156頁。</ref>。}}
 
'''⑩''' 将門が仏の慈悲の矢に当たって弱ったところに、秀郷がすかさず近寄って首を刎ねると、不思議なことに切り口から血潮が空へ吹き上げ七つの魂が飛び出た(魂が七人連れで飛んでゆく)。
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==