「松平定信」の版間の差分
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*蝦夷地の支配は、従来通り松前藩に任せる。数年に一度、幕府役人を巡回させる。大筒を配備する。御救貿易を行う。
*蝦夷地に渡航するための陸奥沿岸の要衝である三馬屋を天領とするため、[[盛岡藩|盛岡]]・弘前両藩から3千石~4千石ずつ領地を収公し、そこに「北国郡代」を設置する。また、有事の際は、盛岡・[[久保田藩|久保田]]両藩に出兵を命じて対処する。
*[[オランダ]]の協力の元、洋式軍艦を建造{{Efn|寛政5年正月には洋式船の模型の入手のため大工の派遣が計画されたり、東インド総督府が偽装済の船を日本に提供する用意があるかの打診、2月には若い日本人に帆船航海術を教授させる計画が進められていた<ref>横山 伊徳『日本近世の歴史 5 開国前夜の世界』</ref>。}}し浦賀や北国郡代に配備し、半数を北海警備に充てる。
このような基本方針を決定し{{Sfn|高澤|2012|p=130}}、海防強化にあたった。しかし松平定信が老中の職を退くと、これらの蝦夷地防衛の基本政策は中止となった。
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