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{{基礎情報 武士
| 氏名 = 今川泰範
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| 花押 = 今川泰範の花押.jpg
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'''今川 泰範'''(いまがわ やすのり)は、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]から[[室町時代]]前期にかけての[[武将]]、[[守護大名]]。[[室町幕府]][[侍所]]頭人、[[駿河国|駿河]]・[[遠江国|遠江]]守護。駿河[[今川氏]]の第3代当主{{
== 生涯 ==
[[建長寺]]に僧侶([[喝食]])として出家していたが、
[[天授 (日本)|天授]]4年/[[永和 (日本)|永和]]4年([[1378年]])、3代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義満]]より侍所頭人に任じられて幕政に参与し、[[元中]]8年/[[明徳]]2年([[1391年]])の[[明徳の乱]]で幕府軍の一員として参戦し、武功を挙げた。応永2年([[1395年]])6月に義満が出家すると、叔父の[[今川仲秋]]や貞臣と共に出家した{{sfn|大塚勲|2008|p=35,37}}{{sfn|小和田哲男|2015|p=75}}。
しかし同年、[[九州探題]]を罷免された叔父了俊が遠江と駿河の[[半国守護]]に補任されたため、駿河を分割統治することとなった(遠江は仲秋と了俊が分割統治)。この年に泰範は[[鶴岡八幡宮]]や[[円覚寺]]の駿河国内の所領が押領されたことを口実に半国を取り上げられ、了俊に与えられたため、了俊が自ら所望して守護職を得た物と勘違いして恨みを抱いており、駿河半国返還を幕府に訴えた。了俊も義満のこの措置に不満を抱き、[[大内義弘]]や[[鎌倉公方]][[足利満兼]]に密かに連絡を取ったとされる{{sfn|川添昭二|1964|p=223-225}}{{sfn|大塚勲|2008|p=35-36}}{{sfn|小和田哲男|2015|p=81-83}}。この任命は今川氏の内紛を画策した義満の策略が疑われている{{sfn|小川剛生|2012|p=191}}{{sfn|平瀬直樹|2017|p=179}}。
応永6年([[1399年]])の[[応永の乱]]でも幕府軍に加わり、『今川記』には[[河内国|河内]][[森口城]]を攻め落としたこと、大内義弘に呼応して[[丹波国|丹波]]から攻め上った[[宮田時清]]の軍勢を撃破したこと、乱の終結で降参した義弘の弟[[大内弘茂]](新介)を召し取るなどの武功を挙げたことが書かれている{{sfn|小和田哲男|2015|p=75-76}}。翌応永7年([[1400年]])[[1月10日 (旧暦)|1月10日]]には[[関東管領]][[上杉憲定]]に対して了俊追討令が出されたが、憲定が了俊を説得している間に了俊の助命嘆願に奔走した結果許され、了俊が[[9月4日 (旧暦)|9月4日]]に上洛して翌[[9月5日 (旧暦)|5日]]に出仕し義満に詫びを入れたことで赦免された。ただし、了俊と仲秋の半国守護は取り上げられ、それらを与えられた泰範は駿河・遠江2ヶ国を領有した。これは了俊が助命嘆願と引き換えにかねてからの泰範の駿河半国返還要求を受け入れた結果だった{{sfn|川添昭二|1964|p=228-230}}{{sfn|小川剛生|2012|p=197-204}}{{sfn|小和田哲男|2015|p=77-80,83}}{{sfn|平瀬直樹|2017|p=178-180}}。
応永16年(1409年)9月26日、76歳で死去し、後を嫡男の範政が継いだ。没年には異説も多く、『今川家略記』・『[[寛政重修諸家譜]]』・『駿河記』に元中5年/[[嘉慶 (日本)|嘉慶]]2年([[1388年]])[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]に55歳で亡くなったという説があるが(『駿河国新風土記』は同年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]]説)、応永14年([[1407年]])[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]付の書状が最後に確認される泰範の発給文書であるため、否定されている。『今川家譜』・『今川記』は応永16年9月26日とするが、『慶寿寺過去帳』は2日前の[[9月24日 (旧暦)|9月24日]]とする。亡くなった場所も諸説あり、[[京都]]または駿河とされている{{sfn|小和田哲男|2015|p=84-86}}。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===▼
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== 参考文献 ==
* [[川添昭二]]『今川了俊』[[吉川弘文館]]〈[[人物叢書]]〉、1964年。
* [[大塚勲]]『今川氏と遠江・駿河の中世』[[岩田書院]]、2008年。
* [[小川剛生]]『足利義満 <small>公武に君臨した室町将軍</small>』[[中央公論新社]]([[中公新書]])、2012年。
* [[小和田哲男]]『駿河今川氏十代』[[戎光祥出版]]([[中世武士選書]])、2015年。
* [[平瀬直樹]]『大内義弘 <small>天命を奉り暴乱を討つ</small>』[[ミネルヴァ書房]]([[ミネルヴァ日本評伝選]])、2017年。
* [[大石泰史]]『城の政治戦略』[[KADOKAWA]]([[角川学芸出版|角川選書]])、2020年。
{{今川氏歴代当主|駿河今川氏|第5代|1366年? - 1409年}}
{{DEFAULTSORT:いまかわ やすのり}}
[[Category:南北朝時代の武将]]
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