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'''三ツ沢公園球技場'''(みつざわこうえんきゅうぎじょう)は、[[神奈川県]][[横浜市]][[神奈川区]]の[[三ツ沢公園]]内にある[[球技場]]。施設は横浜市が所有し、横浜市緑の協会・スポ[[金沢区]]に本社を置く自動車部品メツ協会グルの[[日本発条]]指定管理者と[[命名権]](ネーミングライツ)を取得して運営管理おり、[[2008年]]3月から「'''ニッパツ三ツ沢球技場'''」(ニッパツみつざわきゅうぎじょう、略称「'''ニッパツ'''」)の呼称行っ用いている(詳細は[[#命名権|後述]])
 
施設は横浜市が所有し、横浜市緑の協会・スポーツ協会グループが指定管理者として運営管理を行っている。
横浜市[[金沢区]]に本社を置く自動車部品メーカーの[[日本発条]]が[[命名権]](ネーミングライツ)を取得しており、[[2008年]]3月から「'''ニッパツ三ツ沢球技場'''」(ニッパツみつざわきゅうぎじょう、略称「'''ニッパツ'''」)の呼称を用いている(詳細は[[#命名権|後述]])。
 
== 概要 ==
1955年の[[第10回国民体育大会]](神奈川国体)に備えて整備された球技場で「日本におけるサッカー専用スタジアムのはしり」という言及がなされている<ref name="tricolore220925">{{Cite web|和書|author=根本正人|url=https://www.f-marinos.com/tricolore_plus/article/566|title=30周年記念コラム(6):ホームスタジアム物語|work=TRICOLORE+横浜F・マリノス公式サイト|date=2022-09-25|accessdate=2025-06-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20250602001241/https://www.f-marinos.com/tricolore_plus/article/566|archivedate=2025-06-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000118004.pdf|format=PDF|title=スタジアムについて考えるシンポジウム 議事録|publisher=北九州市建築都市局建築部建築課|date=2011-10-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160217004855/http://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000118004.pdf|archivedate=2016-02-17|accessdate=2021-04-06}}</ref>。
 
[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)、[[日本フットボールリーグ]]、[[ジャパンラグビートップリーグ]]や[[全国高等学校サッカー選手権大会]]やその神奈川県大会決勝、[[全国高等学校ラグビーフットボール大会]]の神奈川県大会決勝などでも使用されている。Jリーグでは[[横浜FC]]がホームスタジアムとして登録しているほか、[[横浜F・マリノス]](合併前の横浜マリノス・[[横浜フリュジャパンラグビゲルス]]を含む)がホームゲームを多く開催している<ref name="tricolore220925"/>。また、[[日本フットボールリーグワン]]では[[横浜スポーツ&カルチャークラブ]]も使用されている。
 
== 歴史 ==
=== 開場から1998年まで ===
三ッ沢球技場は、[[太平洋戦争|第二次世界大戦]]で荒廃した[[戦後#日本における「戦後」|戦後]]、横浜市民のスポーツ振興とサッカーの普及、及び各都市との親睦と交流を目的に1955年(昭和30年)の[[第10回国民体育大会#夏季大会|第10回国民体育大会の神奈川県開催]]に合わせて、1951年(昭和26年)に着工、1955年に完成した<ref name="tricolore220925"/>。

[[1964年]]の[[1964年東京オリンピックのサッカー競技|東京オリンピックサッカー競技]]開催にたり、[[1921年]]の[[第5回極東選手権競技大会|第5回極東選手権]]で[[サッカー日本代表|日本代表]](当時の名称は全日本)主将を務めた佐藤實横浜サッカー協会第3代会長が、代表メンバーの一人だった[[野津謙]][[日本サッカー協会]]会長に働きかけ<ref name="tricolore220925" />、[[飛鳥田一雄]][[横浜市長]]らの多くの人々の尽力があり<ref name="tricolore220925" />、三ッ沢球技場開催に漕ぎつけた<ref name="tricolore220925" /><ref>{{Cite web|和書|url = http://hamarepo.com/story.php?story_id=5217 |title = 昭和を代表する一大イベント、1964(昭和39)年に開催された東京オリンピック。写真に収められた当時の横浜の姿を追って、根岸線沿線を旅した。|website = [[はまれぽ]] |date = 2016-04-29 |accessdate = 2018-01-05 }}</ref>。

1964年10月11日に行われた[[サッカーイラン代表|イラン]]対[[サッカードイツ民主共和国代表|ドイツ]]の一戦には、サッカーが不人気な時代に、1万3,000人が詰めかけた<ref name="tricolore220925"/>。オリンピックでは、横浜の男の子はサッカー、女の子は[[横浜文化体育館]]が会場の一つだった[[バレーボール]]に夢中になった<ref name="tricolore220925"/>。こうした先人たちのサッカーへかける情熱がなければ、今日の神奈川県のサッカー隆盛はなかっただろうとも言われる<ref name="tricolore220925"/>。
 
その後は[[日本サッカーリーグ]](JSL)で[[古河電気工業サッカー部]]、[[日産自動車サッカー部]]、[[全日空横浜サッカークラブ]]などが試合を開催した<ref>{{Cite web|和書|fotmat=PDF|url = http://www.city.yokohama.lg.jp/hodogaya/90th/pdf/90th-kinenshi/90thkinenshi-07.pdf |title = 保土ヶ谷区制90周年に寄せて |publisher = 横浜市 |author=小松成美|authorlink=小松成美|archiveurl= https://web.archive.org/web/20180105070242/http://www.city.yokohama.lg.jp/hodogaya/90th/pdf/90th-kinenshi/90thkinenshi-07.pdf|archivedate = 2018-01-05|accessdate = 2021-04-06 }}</ref>。これ以外でもアマチュアサッカーやラグビーの試合で頻繁に使用され、同球技場は神奈川県や東日本でのサッカー・ラグビー大会の開催地として重用された。
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1991年にJリーグの発足と[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]](前身は日産自動車)・[[横浜フリューゲルス]](同全日空横浜)の参加が決まると、横浜市内を本拠地<ref group="注">ただし、フリューゲルスは[[長崎県]]・[[熊本県]]・[[鹿児島県]]の九州3県を準ホームタウンとし、主催試合を各県で行った。それ以外にも、マリノスやフリューゲルスは神奈川県外で主催試合を行う例があった。また、古河電工は[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフ市原]]となって[[千葉県]][[市原市]]の[[市原臨海競技場]]を本拠地に選んだ。</ref> とする両チームのホームスタジアムとして三ツ沢球技場が選定され、当時のJリーグ(現在の[[J1リーグ|Jリーグ ディビジョン1]](J1))規格を満たす約15,000人を収容できるスタジアムとして、リーグ発足の1993年に増築された。
 
[[1994年]]にグラウンドの水はけの改良を含めた全面的な芝の張替え作業を行った。
三ツ沢球技場は[[1998年]]3月には同年10月の[[第53回国民体育大会]](かながわ・ゆめ国体)の主会場として<ref group="注">この「かながわ・ゆめ国体」では、ラグビー競技が三ツ沢球技場を中心に行われた。</ref>、かつ[[2002年]]6月の[[2002 FIFAワールドカップ]](W杯日韓大会)の開催予定地として<ref group="注">W杯では決勝戦の開催地となった。</ref>[[横浜国際総合競技場]](2005年から「日産スタジアム」)が完成したのに伴い、マリノス・フリューゲルス両チーム共に2つのスタジアムを併用する体制となった。1998年は国体開催に向けた芝生保護や各種準備の関係で横浜国際での試合開催が制限され、三ツ沢球技場での開催が半数近くに及んだが<ref group="注">ただし、両チームが対戦する2度の[[横浜ダービー]]はいずれも横浜国際で開催され、特にマリノス主催の3月21日はJリーグでの同競技場初使用となった。</ref>、10月になって同年限りで両チームが合併することが発表され、サポーターからの強い反発を呼んだ。11月7日、三ツ沢で開催されたフリューゲルスのJリーグ最終主催試合では[[ゲルト・エンゲルス]]監督や選手達が合併反対の意思を表明し、エンゲルス監督は観客席のサポーターに対して日本語でチームの救援と存続を訴えたが、これは叶わなかった<ref group="注">フリューゲルスは[[第78回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第78回天皇杯]]で優勝し、決勝戦の1999年1月1日(国立競技場)が最終戦</ref>。{{main|横浜フリューゲルス#チーム合併消滅と天皇杯優勝}}
 
三ツ沢球技場は[[1998年]]3月には同年10月の[[第53回国民体育大会]](かながわ・ゆめ国体)の主会場として<ref group="注">この「かながわ・ゆめ国体」では、ラグビー競技が三ツ沢球技場を中心に行われた。</ref>、かつ[[2002年]]6月の[[2002 FIFAワールドカップ]](W杯日韓大会)の開催予定地として<ref group="注">W杯では決勝戦の開催地となった。</ref>[[横浜国際総合競技場]](2005年から「日産スタジアム」)が完成したのに伴い、マリノス・フリューゲルス両チーム共に2つのスタジアムを併用する体制となった。
=== 1999-2007年 ===
[[1999年]]、[[横浜F・マリノス]](横浜FM)が発足し、国体終了に伴い横浜国際の使用制限も解除されると、同年の横浜FM主催試合は[[Jリーグカップ]](ヤマザキナビスコカップ、ナビスコ杯)を含めて三ツ沢では1試合もなかった。
[[1999年]]、前項で述べた合併により[[横浜F・マリノス]](横浜FM)が発足し、国体終了に伴い横浜国際の使用制限も解除されると、同年の横浜FM主催試合は[[Jリーグカップ]](ヤマザキナビスコカップ、ナビスコ杯)を含めて三ツ沢では1試合もなかった。[[2000年]]以降は2002年W杯や[[2001年]]開催の[[FIFAコンフェデレーションズカップ2001|コンフェデレーションズ杯]]の準備のために横浜国際の使用が再び制限され、かつ観客動員が少ないと見込まれる水曜開催のリーグ戦やナビスコ杯などで三ツ沢での開催例が復活したが<ref group="注">[[2004年]]の[[AFCチャンピオンズリーグ2004|AFCチャンピオンズリーグ]]でもF・マリノスは三ツ沢と横浜国際が併用したが、三ツ沢で行った[[城南一和天馬]]戦では同クラブ系列の[[世界基督教統一神霊協会|統一協会]]の信徒がアウェー側席に多く来場し、城南を応援した事もあった。</ref>、年間席(シーズンチケット)販売の増加を含め経営規模の拡大が必要な横浜F・マリノスにとって1万5千人規模の三ツ沢は小さすぎ、大半の主催試合は横浜国際<ref group="注">2005年にはF・マリノスの親会社でもある日産自動車が同競技場の命名権を取得し、「日産スタジアム」として広告面の相乗効果が図られた。</ref> で行われるようになった。2007年に行われた横浜ダービー(後述)でもF・マリノス主催試合は日産スタジアムで行われた。
 
[[1999年]]、前項で述べた合併により[[横浜F・マリノス]](横浜FM)が発足し、国体終了に伴い横浜国際の使用制限も解除されると、同年の横浜FM主催試合は[[Jリーグカップ]](ヤマザキナビスコカップ、ナビスコ杯)を含めて三ツ沢では1試合もなかった。[[2000年]]以降は2002年W杯や[[2001年]]開催の[[FIFAコンフェデレーションズカップ2001|コンフェデレーションズ杯]]の準備のために横浜国際の使用が再び制限され、かつ観客動員が少ないと見込まれる水曜開催のリーグ戦やナビスコ杯などで三ツ沢での開催例が復活した<ref group="注">[[2004年]]の[[AFCチャンピオンズリーグ2004|AFCチャンピオンズリーグ]]でもF・マリノスは三ツ沢と横浜国際が併用したが、三ツ沢で行った[[城南一和天馬]]戦では同クラブ系列の[[世界基督教統一神霊協会|統一協会]]の信徒がアウェー側席に多く来場し、城南を応援した事もあった。</ref>年間席(シーズンチケット)販売の増加を含め経営規模の拡大が必要な横浜F・マリノスにとって1万5千人規模の三ツ沢は小さすぎ、大半の主催試合は横浜国際<ref group="注">2005年にはF・マリノスの親会社でもある日産自動車が同競技場の命名権を取得し、「日産スタジアム」として広告面の相乗効果が図られた。</ref> で行われるようになった。2007年に行われた横浜ダービー(後述)でもF・マリノス主催試合は日産スタジアムで行われた。
但し現在も三ツ沢球(ニッパツ)を、マリノスは平日開催が多い[[Jリーグカップ]]の予選リーグ、およびリーグ戦においても日産Sの芝生の保護・管理のため春・秋の年3-4試合程度は開催されている他、神奈川県サッカー協会が主管となる天皇杯では現在に至るまでF・マリノスの初戦が概ね行われている。
 
一方、フリューゲルスの存続を求めたサポーターの活動から1999年に発足し、[[奥寺康彦]]をゼネラルマネージャーに迎えた<ref group="注">現在は会長。なお、奥寺は古河電工出身で、三ツ沢の社宅にも住んでいた経験がある。</ref>[[横浜FC]]は、元フリューゲルス関係者と共に「聖地」三ツ沢への思い入れが強く<ref group="注">フリューゲルスの消滅と横浜FCでの現役引退を共にチーム主将として経験し、2012年に横浜FCの監督に就任した[[山口素弘]]は、監督就任後の初練習の際に「引退時に『管理人でも…』と望んだ」場所としたニッパツ三ツ沢球技場について『選手として始まったのも終わったのも三ツ沢。監督としての最初の試合が三ツ沢というのは高揚感がある』と語った記事が掲載された。{{Cite news |和書 |title=横浜FC 山口新監督で始動「3つのS」でチーム再建 |newspaper=スポニチアネックス |date=2012-03-23|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2012/03/23/kiji/K20120323002883840.html|access-date=2024-12-07}}
</ref>、かつF・マリノスと比較して小規模な経営が必要だった事情もあり、三ツ沢球技場を中心とした試合開催を進める事になった。年明けの[[日本フットボールリーグ]](JFL)参加が決まり、競技場確保が難航した1999年は12試合中3試合のみだったが<ref group="注">同年4月25日の公式戦初試合(JFL)は横浜国際で行った。三ツ沢球技場での初戦は5月3日の[[水戸ホーリーホック]]戦で、横浜FCの公式戦初勝利ともなった。この年は横浜市内では他に[[神奈川県立保土ヶ谷公園サッカー場]]でも1試合行っている</ref>、[[2000年]]以降は三ツ沢球技場での主催試合開催が安定して行えるようになった<ref group="注">ただし、芝生の養生期間(後述)では[[国立霞ヶ丘競技場]]や[[国立西が丘サッカー場]](味の素フィールド西が丘)などでの開催も行われる。</ref>、[[2001年]]の[[Jリーグディビジョン2|J2]]参入後も変化はなかったが、[[2002年]]はW杯の練習会場で三ツ沢球技場が指定されたため、三ツ沢陸上競技場での試合開催も行われた。[[2006年]]には横浜FCがJ2優勝とJ1昇格を決めた後の最終戦が三ツ沢球技場で行われ、[[城彰二]]の引退セレモニーも合わせて開催された
 
[[2001年]]の[[Jリーグディビジョン2|J2]]参入後も変化はなかったが、[[2002年]]はW杯の練習会場で三ツ沢球技場が指定されたため、三ツ沢陸上競技場での試合開催も行われた。[[2006年]]には横浜FCがJ2優勝とJ1昇格を決めた後の最終戦が三ツ沢球技場で行われ、[[城彰二]]の引退セレモニーも行われた<ref>{{Cite web|title=城彰二選手 引退試合 (生観戦記 #1)|url=https://llabtooflatot.blog.fc2.com/blog-entry-916.html|website=llabtooflatot.blog.fc2.com|access-date=2025-08-27|language=ja|last=じじ}}</ref>。
[[2007年]]、J1に昇格した[[横浜FC]]は経営上の判断もあり、三ツ沢球技場での主催をJ1リーグ17試合中9試合に抑え、ホーム開幕戦となった横浜FM戦(横浜ダービー)では三ツ沢開催にこだわったものの、一方でシーズン最終戦を含む6試合を準本拠地の位置づけで日産スタジアムで開催した(残り2試合は国立)。横浜FCはホーム開幕戦とシーズン最終戦では勝利したが、年間成績では18チーム中最下位に終わり、翌年からのJ2降格が決まった。
 
[[2003年]]、日本の社会人ラグビーの全国リーグとして[[ジャパンラグビートップリーグ]]が開始されると、三ツ沢球技場はその試合会場の一つとして使用されるようになった。以後、ほぼ全てのシーズンで年1-2試合が開催されている<ref>{{Cite groupweb|title="注">改修工事が行われていた[[ジャニッンラグビートップリーグ2009ツ三ツ沢球技場|url=https://www.top-2010league.jp/map/detail/20/|2009-2010]]シーズンのみは開催無し。[[website=ジャパンラグビートップリーグ2010-2011|2010access-2011]]シーズン以降は年1試合で固定。なお、ラグビートップリーグはJリーグほどの厳密な本拠地制がないため、主催試合開催チームはシーズンにより異なる。[[ジャパンラグビートップリーグ2012date=2025-201308-27|2012-2013]]シーズンは[[キヤノンイーグルス]]が主催試合を開催。language=ja}}</ref>。
 
=== 2008年以降 ===
** [[2008年]]3月1日[[日本発条]]が命名権を取得し、「'''ニッパツ三ツ沢球技場'''」へ名称を変更。
 
横浜FCは2007年シーズンこそ日産スタジアムと併用する状態であったが、以降は日産スタジアムの使用は2008-2010年までの各1試合のみとなり<ref group="注">他に芝生養生期間での国立開催など。</ref>、本拠地登録も当球技場に一本化された。一方、横浜F・マリノスはJ1リーグ戦の3試合<ref group="注">2009年は4試合</ref> とナビスコ杯の2-3試合<ref group="注">[[東日本大震災]]の影響を受けた2011年の実開催数を含む。J1リーグ戦も同じ。</ref> をニッパツ三ツ沢球技場で行うが、主な試合会場は日産スタジアムであり、試合数からも「横浜F・マリノス=日産、横浜FC=ニッパツ三ツ沢」の住み分けが事実上成立している。
 
[[2009年]]から2010年にかけて、スタンドの外装や内装の改修が行われた。この際、横浜市は当FCからスタンドのベンチ席を全部個別席にするなどの提言が出され<ref>[https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:bNzwN4PDxWwJ:www.geocities.co.jp/flugels_saiken/documents/mitsuzawa_kaishu.pdf+%E4%B8%89%E3%83%84%E6%B2%A2+%E6%94%B9%E4%BF%AE%E5%B7%A5%E4%BA%8B&cd=6&hl=ja&ct=clnk&gl=jp ニッパツ三ツ沢球技場改修に着手し、[[2010年工事概要書]]のJ (横浜市環境創造局){{ーグ開幕前に竣工させンク切れ|date=2013年5月}}</ref>、収容人員は15400人となって、収容人数1万5千人以上や全席個別化などのJ1規格を満たした。総工費3億2800万円<ref name="kosuzume">{{Cite web|和書|url=https://kosuzumeco.exblog.jp/12246921/|title=ニッパツ三ツ沢球技場改修工事竣工!|work=小雀建設ブログ|date=2010-03-11|accessdate=2013-05-19}}</ref> の同工事により、収容人員で1万5400人となり、Jリーグが定めたJ1規格を満たした。これにより、横浜FCが将来J1に復帰しても三ツ沢をそのままメインスタジアムとして使用できる体制が整った
 
2022年から開幕した[[ジャパンラグビーリーグワン]]では、[[横浜キヤノンイーグルス]]が同年からホームスタジアムの1つとして使用する<ref>{{Cite web|title=横浜キヤノンイーグルス(2022) {{!}} 【公式】ジャパンラグビー リーグワン|url=https://league-one.jp/team/6?t1=2|website=【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン|access-date=2025-08-27|language=ja|last=一般社団法人ジャパンラグビーリーグワン}}</ref><ref>{{Cite web|title=横浜キヤノンイーグルス vs クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(NTTジャパンラグビー リーグワン 2024-25 ディビジョン1:2025年02月08日)|url=https://league-one.jp/match/27482?t1=2|website=【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン|access-date=2025-08-27|language=ja|last=一般社団法人ジャパンラグビーリーグワン}}</ref>。
一方、全日空横浜クラブの元選手により[[1986年]]に発足した[[横浜スポーツ&カルチャークラブ]](Y.S.C.C. / YS横浜)は[[関東サッカーリーグ]]以降当球技場でホームゲームを開催しており(JFLでは[[神奈川県立保土ヶ谷公園サッカー場]]と併用)、[[J3リーグ]]発足時以降は当球技場をホームスタジアムとして登録。Jリーグ3クラブのホームスタジアムとなった。なお、横浜F・マリノスは2016年以降、本拠地登録を日産スタジアムに一本化しているが、リーグカップ戦を中心に主催試合を開催することがある。
 
2022年、横浜市は、老朽化が進んでいること及びJリーグ基準を満たしていないことから、新スタジアムを建設する基本構想案を策定した<ref>{{Cite web|title=三ツ沢公園再整備構想案における新スタジアム計画について ONODERA GROUPが建設・寄贈する意向を横浜市に提案|url=https://yokohamafc.com/2022/10/14/news-36/|website=横浜FCオフィシャルウェブサイト|access-date=2025-08-27|language=ja}}</ref>。
[[2021年]]にジャパンラグビートップリーグが[[ジャパンラグビーリーグワン]]に改称。(D1は1シーズンにつき16試合開催)以後、[[横浜キヤノンイーグルス]]主催試合が5試合程組まれている。(残りは[[秩父宮ラグビー場|秩父宮]]・[[大分スポーツ公園総合競技場|大分]])
 
2025年6月、陸上競技場を泉区の深谷通信所跡地に移転させ、この跡地に新しいスタジアムを建設する方針を報告、公表した。新スタジアムはすべての観客席を屋根で覆うなどJリーグ基準を満たし、現状の1万5千人以上を収容する規模とする<ref name=":0">{{Cite web|title=三ツ沢の陸上競技場を移転し、跡地に新スタジアム 横浜市が方針:朝日新聞|url=https://www.asahi.com/articles/AST6352Z0T63ULOB006M.html?iref=ogimage_rek|website=朝日新聞|date=2025-06-04|access-date=2025-08-27|language=ja}}</ref>。同年8月、横浜市はこの方針を決定した<ref name=":1">{{Cite web|title=「三ツ沢」新スタジアム、陸上競技場跡地を活用へ…横浜FC本拠地の老朽化で市が方針決定(読売新聞オンライン)|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/088f78777b3710c8ce2d908f5cb0a9a1700d7103|website=Yahoo!ニュース|access-date=2025-08-27|language=ja}}</ref>。後述「[[三ツ沢公園球技場#改修構想|改修構想]]」も参照。
老朽化が進んでいること及びJリーグ基準を満たしていないことから、横浜市は2022年に三ッ沢公園内の別の位置に新スタジアムを建設する基本構想案を策定、2025年には陸上競技場がある場所に新スタジアムを建設して陸上競技場は泉区に新設する再整備基本構想の見直し案をまとめた。新スタジアムは1万5千~2万5千人規模を想定している<ref>{{Cite web |title=横浜市、三ツ沢公園再整備基本計画策定へ 構想見直し案を市議会常任委に報告 |url=https://www.sankei.com/article/20250604-ROPC32SHPRMZ5BWCZEXQ6KOHAU/ |website=産経ニュース 2025年6月4日 |access-date=2025-06-04 |publisher=産経新聞}}</ref>。
 
=== 年表 ===
* [[1955年]]:[[第10回国民体育大会]](神奈川国体)に備えて、日本におけるサッカー専用スタジアムのはしりとして建設。
* [[1964年]]:[[1964年東京オリンピックのサッカー競技|東京オリンピックサッカー競技]]の会場として使用。
* [[1965年]]:[[日本サッカーリーグ]](JSL)開始。以後、[[古河電気工業サッカー部]]、[[日産自動車サッカー部]]、[[全日空横浜サッカークラブ]]などが同球技場で公式戦主催試合を開催。また、神奈川県や東日本でのサッカー・ラグビー大会の開催地として重用された。
* [[1991年]]:Jリーグ発足と共に[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]]、[[横浜フリューゲルス]]のホームスタジアムとして登録。
* [[1993年]]:Jリーグ(現在の[[J1リーグ|Jリーグ ディビジョン1]](J1))規格を満たす約15,000人収容とするため、増築。
** 5月16日:[[1993年Jリーグ開幕節]]が同球技場で開催され、フリューゲルスが[[清水エスパルス]]に勝利(3-2)。なお、三ツ沢球でのJリーグ初得点者は、フリューゲルスの[[アンジェロ・カルロス・プレッティ]]である。
** 5月19日:マリノスのJリーグ加盟後、初めての三ツ沢球でのホームゲームが開催([[ガンバ大阪]]戦、1-0で勝利)。
** 6月12日:マリノスとフリューゲルスにより初めての[[横浜ダービー]]が開催(マリノスが主催、3-2でマリノスが勝利)。
* [[1998年]]
** 1月24日:[[第53回国民体育大会]](かながわ・ゆめ国体)が開催され、三ツ沢球では主にラグビー競技が行われた。
** [[横浜国際総合競技場]]の完成に伴い、マリノス・フリューゲルス共に三ツ沢球技場との2つをホームスタジアムとして登録。
** 11月17日:マリノスへの合併が決まったフリューゲルスのJリーグ最終主催試合が開催([[アビスパ福岡]]戦、2-1で勝利)。
** 12月13日:マリノスが同競技場で[[第78回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第78回天皇杯]]3回戦を行い、[[ベガルタ仙台|ブランメル仙台]]に0-1で敗退した。合併前の最終試合となった。
* [[1999年]]
** 5月3日:同年に発足した[[横浜FC]]の初めての三ツ沢球でのホームゲームが開催([[水戸ホーリーホック]]戦、4-1で勝利)。
* [[2000年]]
** 4月5日:マリノスとフリューゲルスが合併して発足した[[横浜F・マリノス]]の初めての三ツ沢球でのホームゲームが開催([[ヴィッセル神戸]]戦、1-0で勝利)。
* [[2001年]]
** 3月17日:[[横浜FC]]のJリーグ加盟後、初めての三ツ沢球でのホームゲームが開催([[ベガルタ仙台]]戦、2-1で勝利)。
* [[2003年]]
** 11月8日:[[ジャパンラグビートップリーグ]]の[[ジャパンラグビートップリーグ2003-2004|2003-2004]]シーズンで、リーグ戦第3節で三ツ沢球技場が使用(ホームの[[NECグリーンロケッツ]]が[[福岡サニックスブルース|福岡サニックスボムズ]](現・宗像サニックスブルース)に64-5で勝利)。同年に創設された同リーグが初めて三ツ沢で行われる。
* [[2006年]]
** 12月2日:J2リーグ第52節(最終節、横浜FCが[[愛媛FC]]に2-0で勝利)。試合後、横浜FCのJ2優勝セレモニーと、[[城彰二]]の引退セレモニーを開催。
* [[2007年]]
** 3月10日:J1リーグ第2節、F・マリノスと横浜FCの初めての[[横浜ダービー]]が開催(横浜FC主催、1-0で横浜FCが勝利)。
* [[2008年]]
** 3月1日:[[日本発条]]が命名権を取得し、「ニッパツ三ツ沢球技場」へ名称を変更。
* [[2010年]]
** 3月7日:J2リーグ第1節、横浜FC - [[ギラヴァンツ北九州]]戦を開催(2-0で横浜FCが勝利)。スタジアム改修後の初試合。
* [[2012年]]
** 3月18日:同年にJFLへ昇格した[[横浜スポーツ&カルチャークラブ]](Y.S.C.C.横浜)が初めて同球技場でのJFL主催試合を開催([[AC長野パルセイロ]]戦、1-2で敗北)。
** 11月18日:同年より実施された[[J1昇格プレーオフ]]に4位で進出した横浜FCが、同球技場にて準決勝を開催([[ジェフユナイテッド千葉]]戦、0-4で敗退。)
* [[2013年]]
** 3月1日:日本発条による命名権取得が3年間延長され、2016年2月29日まで「ニッパツ三ツ沢球技場」の名称が維持される。
* [[2014年]]
** 3月9日:Y.S.C.C.(同年からYS横浜の呼称を使用)主催試合として、初めて同球技場で[[J3リーグ]]の試合が開催(YS横浜-[[ブラウブリッツ秋田]]戦、1-1で引き分け)。
* [[2025年]]
** 3月9日:同年にJFLでのスタートとなった(Y.S.C.C.横浜)が同球技場でのJFL主催試合を開催([[本田技研工業フットボールクラブ|Honda FC]]戦、0-0で引き分け)。
 
[[ファイル:Mitsuzawa4.jpg|thumb|300px|夜間開催時のニッパツ三ツ沢球技場。バックスタンドのホームゴール裏コーナー付近から(2009年J2第16節:横浜FC-[[FC岐阜]])]]
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== 施設概要 ==
出典:<ref>{{Cite web|title=施設・サービス{{!}}{{!}}三ツ沢公園公式サイト|公益財団法人 横浜市緑の協会|url=https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/park/mitsuzawa/sports.php#nippa|website=www.hama-midorinokyokai.or.jp|access-date=2025-08-27|language=ja}}</ref>
* 照明設備:4基 (鉄塔式)
** 各照明装置には、[[落雷抑制システムズ]]社の落雷抑制装置が設置されており、ピッチ上に落雷する確率を低減させている。
* スコアボード:大型映像装置 (2008年より使用)
* 収容人員:15,454人(メインスタンド5,580人(車いす席20)、バック・サイドスタンド9,874人(車いす席10))
 
* 収容人員:15,454人 メインスタンド5:5,580人(車いす席20)、20人を含む) バック・サイドスタンド9:9,874人(車いす席10))10人を含む)
===電光掲示板===
* フィールド:天然芝130m×74m
* 1993年のJリーグ開幕時に、これまでの白色電球のものを4色磁気反転型の電光板(左記2つはいずれもフリーボード形式)に変更。
* 利用種目:(団体利用のみ)サッカー、ラグビー、ホッケー
* 2008年に、それまで使用されていた電光板が老朽化・保守部品の製造終了に伴い撤去された。新しいスコアボードは2006年の初期段階の計画では電気系統の大工事を行わなくて済むようにそれまでと変わらない位置(ホーム側ゴール裏席上段)に設置予定であったが、当時の横浜FC運営担当が横浜サッカー協会に掛け合い、ホーム側ゴール裏席から見やすいように以前とは反対のアウェイ側ゴール裏席上に設置されている。
* 旧電光板のあった箇所は、球技場命名権を取得した日本発条(NHKニッパツ)の広告[[横断幕]]が取り付けられている。
 
* 照明設備:4基 (鉄塔式)
=== スタンド ===
* 大型映像装置(高輝度LEDフルカラー)
* 2009年から2010年にかけて行われた同球技場の改修ではスタンドの外装や内装の改修が行われた。この際、横浜FCからスタンドのベンチ席を全部個別席にするなどの提言が出され<ref>[https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:bNzwN4PDxWwJ:www.geocities.co.jp/flugels_saiken/documents/mitsuzawa_kaishu.pdf+%E4%B8%89%E3%83%84%E6%B2%A2+%E6%94%B9%E4%BF%AE%E5%B7%A5%E4%BA%8B&cd=6&hl=ja&ct=clnk&gl=jp ニッパツ三ツ沢球技場改修工事概要書] (横浜市環境創造局){{リンク切れ|date=2013年5月}}</ref>、収容人員は15400人となって、収容人数1万5千人以上や全席個別化などのJ1規格を満たした。
* フィールド電光掲示板・ゴールタイマ
* また、横浜フリューゲルスの再建を目的として1999年に設立されていた「フリューゲルス再建基金」から、横浜FC(横浜フリエスポーツクラブ)への融資として使用された分を除く3700万円が横浜市に寄付されてニッパツ三ツ沢球技場の観客席の増設(約2200席分)に使われ、一般客メインゲート脇の柱に銘板が設置された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/kisha/h21/100312-1.html |title=フリューゲルス再建基金管理委員会に市長から感謝状を贈呈します|date=2010-03-12|publisher=横浜市環境創造局|accessdate=2010-02-22|archive-url=https://web.archive.org/web/20130510205004/https://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/kisha/h21/100312-1.html|archive-date=2013-05-10}}{{Cite web|和書|url=http://www.geocities.jp/flugels_saiken/ |title=お知らせ(2010年2月22日)
date=2010-02-22|publisher=フリューゲルス再建基金管理委員会|accessdate=2010-02-22|archive-url=https://web.archive.org/web/20140402040007/http://www.geocities.jp/flugels_saiken/|archive-date=2014-04-02}}</ref>。
* 但し、[[Jリーグクラブライセンス制度|Jリーグライセンス]]ではB等級であるスタンドの屋根(全体の3分の1以上を覆うことを推奨)が設置されていない。([[#Jリーグライセンス基準への改修・整備問題|後述]])
* 同球技場ではラグビーも開催するため、サッカー専用スタジアムと比較すると横幅が長く取られている。そのため、サッカーの試合ではゴール裏とスタンドの距離がやや離れる。
* YS横浜の主管試合を開催する場合は原則としてメインスタンドとサイドスタンドのみの解放である。
 
=== 天然芝 ===
* [[1993年]]のリーグ戦では常緑の天然芝を保つことができたものの雨天時などでは水浸しになるなど選手のプレー面での危険性が危惧されたことなどから、[[1994年]]にグラウンドの水はけの改良を含めた全面的な芝の張替え作業を行った。
* 同年9月、問題となった芝生を剥がして[[福岡ドーム]]でサッカー・ラグビーの試合を開催することを念頭に設計されたパレット式天然芝(詳細説明は[[ビッグエッグターフ]]の項を参照されたい)を購入しそれを敷き詰める応急処置を施し公式戦を開催した。その後、Jリーグは[[1994年アジア競技大会]](広島アジア大会)の開催時期でもあったため1ヶ月の中断期間があり、その間に芝生の張替えを検討したが、結局新規の張替えではなくパレット天然芝を直接地面に根付かせる形で養生しJリーグの再開に間に合わせた。
 
== 命名権 ==
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* [[首都高速神奈川2号三ツ沢線]] [[三ツ沢出入口]]および[[第三京浜道路]] [[保土ヶ谷インターチェンジ|保土ケ谷IC(三ツ沢出入口)]]からすぐ<ref name="official-access"/>。
** [[神奈川県道13号横浜生田線|県道横浜生田線]]沿い。
** 球技場専用の駐車場はなく、三ツ沢公園の共用駐車場を利用することになるため、各公式サイトでは車での来場を控えるよう呼びかけて<ref name="official-access"/><ref name="yfc-access"/>。
 
== 改修構想 ==
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[[2022年]][[10月14日]]、横浜FCの親会社である[[LEOC|ONODERA GROUP]]が、前述の「三ツ沢公園球技場を含む公園の再整備に向けた基本的な考え方(案)」に呼応して、同社が事業主体となって三ツ沢公園内に新球技場を整備し、完成後に横浜市に寄付するという事業提案を行ったことを公表した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.onodera-group.jp/news/?p=3335|title=三ツ沢公園再整備構想案における新スタジアム計画について、当社が建設・寄贈する意向を横浜市に提案|publisher=ONODERA GROUP|date=2022-10-14|accessdate=2022-10-15}}</ref>。寄贈条件として「新スタジアムの施設名称を『ONODERAスタジアム』とすること」「([[指定管理者]]として) 60年間の管理運営をONODERA GROUPまたは子会社が行うこと」「管理運営期間中の使用料・賃貸料を無償とすること」等を合わせて提案したという。しかしその後の検討の結果、法規制や事業採算性などの面で事業提案の内容を実現させることが困難だとして、2023年6月23日付でONODERA GROUPがこの提案を取り下げたことを表明した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.onodera-group.jp/news/?p=3890|title=三ツ沢公園再整備構想案における新スタジアム計画の寄贈提案の取り下げについて|publisher=ONODERA GROUP|date=2023-06-23|accessdate=2023-06-23}}</ref>。
 
2025年6月、横浜市は市議会常任委員会で、陸上競技場を泉区の深谷通信所跡地に移転させ、この跡地に新しいスタジアムを建設する方針を報告、公表した。新スタジアムはすべての観客席を屋根で覆うなどJリーグ基準を満たし、現状の1万5千人以上を収容する規模とする<ref name=":0" />。同年8月、横浜市はこの方針を決定した<ref name=":1" />。
 
== 横浜市民病院の移設 ==
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2020年5月1日にスタジアムのバックスタンド裏に横浜市立市民病院が移転開院した<ref>{{Cite news|url=https://www.hamakei.com/headline/10857/|title=新しい横浜市立市民病院が5月1日に開院 「パークホスピタル」がコンセプト|newspaper=ヨコハマ経済新聞|date=2020-04-25|accessdate=2021-04-06}}</ref>。
 
== その他 ==
* 同じ三ツ沢公園内にある[[三ツ沢公園陸上競技場|陸上競技場]](約1万人程度収容。[[2002 FIFAワールドカップ]]の練習会場として使用された関係で、ナイター設備を設置)でもサッカーの試合が開催されており、Jリーグでは[[2002年]]に横浜FC(J2)、[[2014年]]にはYS横浜(J3)のそれぞれ一部主催試合が催された。
* [[加山雄三]]主演の[[レッツゴー!若大将]]([[1967年]]・東宝/岩内克己監督)において、サッカーの試合のロケが行われた。
* 三ツ沢公園全体は横浜市神奈川区にあるが、同球技場のバックスタンドの裏にあった古河電工の社宅(現在は横浜市立市民病院敷地)は[[西区 (横浜市)|西区]]、南側(アウェー側ゴール裏)サイドスタンドの裏手の住宅地は[[保土ケ谷区]]となる、3区の境界地帯にある。なお、この古河電工社宅に、[[川淵三郎]]などのサッカー部所属社員選手も住んでいた。また、[[小倉純二]]は三ツ沢の社宅に住んだ事がきっかけとなってサッカーとの関係を持ち、川淵と同じく[[日本サッカー協会]]の会長まで務めた。
 
== 脚注 ==