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[[ファイル:Yosano Kaoru 2007.jpg|200px|thumb|2007年8月27日、内閣官房長官就任時]]
[[ファイル:Kaoru Yosano.JPG|200px|thumb|[[2008年]][[9月11日]]、[[2008年自由民主党総裁選挙|自由民主党総裁選挙]]での立会演説にて]]
[[2000年]]6月の[[第42回衆議院議員総選挙]]で[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の職・[[海江田万里]]に敗れ、重複立候補していた比例代表東京ブロックでも復活せずに落選する。自民党は民主党に都市部を中心に議席を奪われ、「[[1区現象]]」と呼ばれる事態に陥ったが、閣僚経験者で総裁候補とも目されつつあった与謝野の落選は、1区現象の象徴として大きく報じられた。与謝野の落選について[[小泉純一郎]]は後に、「(与謝野さんが)落選していなければ自分ではなく与謝野さんが総理になっていただろう」とも述べている。
 
浪人時代はCS放送「[[朝日ニュースター]]」を始めマスメディアにしばしば登場、その頃誕生した小泉内閣の構造改革に当初は批判的であったが、徐々に方針転換して改革にも一定の理解を示すようになったほか、復活を期した2003年の総選挙前に派閥を離脱した。これは当時所属派閥であった[[志帥会]]における[[亀井静香]]との権力抗争に敗北し、以前に亀井が所属していた[[清和政策研究会]]の小泉首相に接近する事情もあった。