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| 創建年 = 伝・[[宝亀]]元年([[770年]])
| 開山 = 伝・鑑禎
| 中興 = 峯延
| 正式名 = 鞍馬山鞍馬寺
| 別称 = 鞍馬山
| 札所等 = [[新西国三十三箇所]]第19番<br/>[[神仏霊場巡拝の道]]第103番(京都第23番)
| 文化財 = 木造毘沙門天立像
| 公式HP = http://www.kuramadera.or.jp/
| 公式HP名 = 総本山 鞍馬寺
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[[ファイル:Kurama7220.jpg|thumb|200px|僧正ガ谷不動堂]]
[[ファイル:Krama7207.jpg|thumb|200px|冬柏亭、与謝野晶子書斎]]
'''鞍馬寺'''(くらまでら)は、[[京都市]][[左京区]]鞍馬本町にある[[鞍馬弘教]]の[[本山|総本山]]の[[寺院]]。[[山号]]は[[鞍馬山#鞍馬寺との関わり|鞍馬山]](くらまやま
[[京都盆地]]の北に位置し、豊かな自然環境を残す[[鞍馬山]]の南斜面に位置する。鞍馬は牛若丸([[源義経]])が修行をした地として著名であり、[[能]]の『[[鞍馬天狗 (能)|鞍馬天狗]]』でも知られる。なお、鞍馬寺への輸送機関として[[ケーブルカー]]([[鞍馬寺鞍馬山鋼索鉄道|鞍馬山鋼索鉄道]])を運営しており、[[宗教法人]]としては唯一の[[鉄道事業者]]ともなっている。
== 歴史 ==
当寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起
『[[今昔物語集]]
9世紀末の[[寛平]]年間([[889年]] - [[897年]])に[[真言宗]]の十禅師で東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺して中興したころから<ref name="歴史"/>、鞍馬寺は
12世紀に[[延暦寺]]の僧・重怡(じゅうい)が入寺し、[[保延]]年間([[1135年]] - [[1140年]])に[[天台宗]]に改宗し、以後は[[青蓮院]]の支配下にあった。また、天台[[法華経|法華]]・天台[[密教]]・天台[[浄土教|浄土]]が取り入れられるようになる<ref name="歴史"/>。
[[寛治]]5年([[1091年]])には[[白河天皇|白河上皇]]が参詣、[[承徳]]3年([[1099年]])には[[関白]][[藤原師通]]が参詣するなど、[[平安時代]]後期には広く信仰を集めていたようである
鞍馬寺は[[大治 (日本)|大治]]元年([[1126年]])の火災をはじめとして、たびたび焼失しているが、その都度復興されている。
平安時代には当寺の[[僧兵]]は[[比叡山]][[延暦寺]]の僧兵に数は劣るものの、より勇猛だと讃えられていたという。また、平安時代末期には[[源義経]](牛若丸)が当寺に入山し、[[天狗]]に兵法を授けられたという伝説がある<ref name="歴史"/>。
[[鎌倉時代]]の[[寛喜]]元年([[1229年]]<span style="letter-spacing:-0.5em">)</span>、青蓮院[[門跡]]座主が鞍馬寺[[検校]]職を兼務する。これ以来、鞍馬寺は正式に青蓮院の末寺となった。しかし、[[江戸時代]]の[[享保]]15年([[1730年]])には青蓮院の他、[[日光市|日光]][[輪王寺]]の末寺ともなった。▼
▲[[鎌倉時代]]の[[寛喜]]元年([[1229年]]
この頃、鞍馬寺には[[塔頭]]が十院(真勝院・月性院・妙寿院・宝積院・大蔵院・吉祥院・戒光院・歓喜院・円光院・福生院<span style="letter-spacing:-0.5em">)</span>、さらに九坊(普門坊・松円坊・妙覚坊・薬師坊・本住坊・乗円坊・梅本坊・実相坊・蔵之坊)が存在し、栄えていた。しかし、[[文化 (元号)|文化]]11年([[1814年]])には一山炎上する大火災があり、以後は衰退してしまう。▼
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には、[[武田信玄]]、[[豊臣秀吉]]、[[徳川家康]]などの武将が当寺でしきりに戦勝祈願を行っている<ref name="歴史"/>。
[[江戸時代]]の[[享保]]15年([[1730年]])には青蓮院の他、[[日光市|日光]][[輪王寺]]の末寺にもなった。
▲この頃、鞍馬寺には[[塔頭]]が十院(真勝院・月性院・妙寿院・宝積院・大蔵院・吉祥院・戒光院・歓喜院・円光院・福生院
そんな中の[[安政]]2年([[1855年]])には日光輪王寺のみの末寺となった。
[[1868年]]([[明治]]元年)には再び青蓮院の末寺となり、[[廃仏毀釈]]の後も復興事業を進めていた。しかし、[[1945年]]([[昭和]]20年
昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、[[1947年]](昭和22年)に<!--[[神智学]]の影響を受け-->[[鞍馬弘教]]を開宗。[[1949年]](昭和24年)には当寺は天台宗から独立して鞍馬弘教の総本山となった<ref name="歴史"/>。
京都の奥にある鞍馬山は[[山岳信仰]]、[[山伏]]による
== 本尊 ==
京都の北に位置する鞍馬寺は、もともと毘沙門天([[四天王]]のうち北方を守護する)を本尊とし、併せて千手観世音を祀った寺院であった<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=j_NzkrvMu30C 鞍馬寺史] 大正十年</ref>。しかし、鞍馬弘教立教後の現在の鞍馬寺の信仰形態は独特のもので、本尊についても若干の説明を要する。
鞍馬弘教立教後の寺の説明によると、鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる[[宇宙]]エネルギー」であるとする。また、毘沙門天を「光」の象徴にして「[[太陽]]の精霊」・千手観世音を「愛」の象徴にして「[[月]]輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地([[地球]])の霊王」としている。鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。「尊天」のひとり、「護法魔王尊」([[サナート・クマラ]])とは、650万年前(「650年」の間違いではない
本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊はいずれも[[秘仏]]であり60年に一度丙寅の年のみ開帳されるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が常時安置されている。お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、鼻が高い。光背は木の葉でできている。[[多宝塔]]に安置の護法魔王尊像も同じような姿をしている。このことから「鞍馬天狗」とはもともと護法魔王尊であったと思われる。また、16歳とされているわりに歳をとった姿をしている。
== 境内 ==
* 本殿金堂 - [[1971年]]([[昭和]]46年)再建。三尊尊天を祀る。尊天のうち[[千手観音|千手観世音菩薩]]は[[新西国三十三箇所]]第19番札所の本尊である。建てられている場所は標高410メートルとなっている。自由に入ることができる地下階もあり「宝殿」と称する<ref name="山内案内">[https://www.kuramadera.or.jp/annai.html 鞍馬寺 山内案内 2025年9月2日閲覧]</ref>。薄暗い室内の壁には骨壷のようなものが並べられているが、骨壷ではなく「清浄髪奉納」と称する、生きている人の髪の毛を収めたものである。最奥部には「尊天」3像の分身像が祀られている。堂は6時頃から16時15分頃までの開扉で、地下「宝殿」は6時頃から15時45分頃まで入室可能。本殿金堂前にある金剛床は、[[宇宙]]のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模している<ref name="山内案内"/>。
* 光明心殿 - 護法魔王尊を祀る<ref name="山内案内"/>。
* 閼伽井護法善神社
* 本坊(金剛寿命院) - 塔頭の松尾山金剛寿命院。当寺の本坊を兼ねているほか、鞍馬弘教宗務本庁が置かれている<ref name="山内案内"/>。
** 庭園「瑞風庭」 - 奥の院に護法魔王尊が降臨する様子を表現している<ref name="山内案内"/>。
* 転法輪堂 - [[1969年]](昭和44年)再建。舞台造りのコンクリート建築。堂は6時頃から15時45分頃まで入堂可能。1階は「洗心亭」と称し、以前は飲食店であったが、現在は土休日に開く売店
* [[与謝野鉄幹]]・[[与謝野晶子]][[歌碑]]
* 霊宝殿(鞍馬山[[博物館]]) - 本殿裏にある。1階は鞍馬山自然博物苑で、鞍馬山の動植物に関する展示がある。2階は寺宝展
* 冬柏亭 - 与謝野晶子の書斎
* 奥の院門 - 冬柏亭から少し奥の院側に登ったところにあったが、2018年の台風で倒壊した。再建するかは未定のため、現在は礎石等が残されているのみである。
* 息つぎの水 - 牛若丸([[源義経]])が東光坊から奥の院へ兵法の修行に通う途中、この清水を汲んで喉の渇きを潤したと伝えられている<ref>小野芳朗『水の環境史「京の名水」はなぜ失われたか』(PHP新書) PHP研究所、2001年 p.206 ISBN 9784569616186</ref>。
* 屏風坂の地蔵堂(革堂の地蔵尊)
* 背比べ石 - [[奥州]]に下る牛若丸が名残を惜しんで背を比べたといわれる石<ref name="山内案内"/>。標高は485メートル。
* 遮那王堂 - 背比べ石のすぐ右側にある小堂。なぜか、現地には一切堂名の案内や表示がなく、公式ホームページでも案内がない。後述の義経堂と同様に義経公を遮那王尊として祀る。
* 木の根道 - この辺り一帯の砂岩によって木の根が地下に伸ばせず、根が地表面でアラベスク模様を描く。牛若丸はここで兵法修行をしたと伝えられている<ref name="山内案内"/>。
* 大杉権現 - 護法魔王尊影向(ようごう)の[[杉]]として信仰を集める。2018年(平成30年)の台風で倒壊し、再建準備中。この辺りは大杉苑瞑想道場と呼ばれ、護法魔王尊のエネルギーの高い場所であるという<ref name="山内案内"/>。
* 義経堂 - 牛若丸を遮那王尊として祀る。この辺りは僧正ガ谷と呼ばれ、牛若丸が天狗に兵法を習った場所であるという<ref name="山内案内"/>。
* 僧正ガ谷不動堂 - 謡曲の[[鞍馬天狗]]が牛若丸と出会ったといわれる所。堂内には伝教大師([[最澄]])が一刀三礼を尽くして刻んだと伝えられる[[不動明王]]が安置されている<ref name="山内案内"/>。
* 奥の院魔王殿 - 本殿から西の[[貴船神社]]へ抜ける山道の途中、奇岩・磐坐の上にある小堂。650万年前に[[金星]]から
* 西門
* 寝殿 - [[貞明皇后]]の行啓の際に休息所とするために[[1924年]]([[大正]]13年)に建
* 巽の[[弁財天]]社
* [[弥勒]]堂
* [[多宝塔]] - 本殿東側にあったが、[[江戸時代]]後期に焼失した。現在のものは、ケーブルカー開通後の[[1960年]](昭和35年)に場所を移して再建された。現在位置は標高370メートル。塔内は毎月1日・7日、正月三が日、初寅大祭の日の8時30分頃から16時頃まで開扉され公開される。塔内には中央に舎利宝塔が、四隅には「尊天」三像と多宝塔再建時の寄進者名を収めた厨子が祀られている。
* ケーブル[[多宝塔駅]](山上駅)
* 中門 - 元は山麓の仁王門の横にあった[[勅使]]門
* 九十九折参道 - [[清少納言]]が『[[枕草子]]』で「近うて遠きもの」の一例として「くらまの九十九折といふ道」と記した坂道<ref name="山内案内"/>。
* 双福苑
* 川上地蔵堂 - 牛若丸の守り本尊である[[地蔵菩薩]]が祀られている。▼
* 玉杉[[大黒天]]社
* 玉杉[[えびす|恵比寿]]尊社
▲* 川上地蔵堂 - 牛若丸の守り本尊である[[地蔵菩薩]]が祀られている<ref name="山内案内"/>。
* 東光坊跡(とうこうぼうあと) - 平安時代末期に牛若丸が7歳から約10年間住んでいた場所であるという。
* 義経公供養塔 - 東光坊の跡地に[[1940年]](昭和15年)に建立された源義経を祀る石造[[供養塔]]<ref name="山内案内"/>。
* [[由岐神社]] - 元は鞍馬寺の[[鎮守社]]<ref name="山内案内"/>。現在は独立している。
* [[鬼一法眼]]社(きいちほうげんしゃ) - 牛若丸に[[兵法]]を授けたといわれる鬼一法眼を祀る<ref name="山内案内"/>。2018年(平成30年)の台風で、倒木により破損し解体された。現在、再建準備中。
* 魔王乃滝 - 鬼一法眼社の横を流れる[[滝]]。2018年(平成30年)の台風で崩壊したが、2024年(令和6年)に再建された。。
* 吉鞍[[稲荷社]]
* 放生池
* ケーブル普明殿([[山門駅]]) - [[1957年]](昭和32年)に敷設された鞍馬山[[ケーブルカー|ケーブル]]([[鞍馬寺鞍馬山鋼索鉄道|鞍馬山鋼索鉄道]])の駅<ref name="山内案内"/>。標高250メートル。
* 歓喜院・修養道場 - [[1964年]](昭和39年)建立。▼
* 鳥樞沙摩明王殿(山麓お手洗い)
* [[仁王]]門 - 創建は[[寿永]]年間([[1182年]] - [[1184年]]、平安時代最末期)と伝えられる。[[1891年]]([[明治]]24年)に焼失し、[[1911年]](明治44年)に再建された。左側の扉1枚は寿永年間の頃のものと考えられている。安置されている[[仁王像]]は[[湛慶]]([[運慶]]の[[嫡男]])の作と伝えられ、再建時に[[丹波国]]から移されたという。▼
▲* 歓喜院・修養道場 - [[1964年]](昭和39年)建立。廃絶した山内の十院九坊を一棟に結集させたもの<ref name="山内案内"/>。
▲* [[仁王]]門 - 創建は[[寿永]]年間([[1182年]] - [[1184年]]、平安時代最末期
== 文化財 ==
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[[ファイル:Kuramadera Monastery Kichijoten (334).jpg|thumb|160px|吉祥天立像]]
=== 国宝 ===
* 木造[[毘沙門天]]立像
* 鞍馬寺経塚遺物 一括
** 石[[宝塔]](旧塚上所在)1基
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* [[鞍馬の火祭]](10月22日) - 仁王門近くにある[[由岐神社]]の祭礼。鞍馬寺主催ではないが、かつては鞍馬寺の祭りでもあった。
==
* 京都府京都市左京区鞍馬本町1074
== アクセス ==
;京都市内から鞍馬寺前まで
:[[叡山電鉄]]
:*その叡山電鉄の親会社である[[京阪電気鉄道]]では、同社との共同企画乗車券「鞍馬・貴船1dayチケット」を出町柳駅を除く[[京阪本線|京阪線]]系統すべての駅で発売しており、拝観の際に本券を受付に提示すると、境内への入場料である「愛山費」が大人通常500円のところを優待料金の400円で拝観できる<ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20120723110250/http://www.keihan.co.jp/traffic/valueticket/ticket/kifune_2012/ 鞍馬・貴船1dayチケット 優待特典一覧]}} - 京阪電気鉄道</ref>。
:京都市地下鉄烏丸線の国際会館駅から京都バス52系統に乗ると約30分で鞍馬停留所に着く、停留所より徒歩1分で仁王門に至る。なお、[[地下鉄・バス一日券]]では、運賃均一区間の境界である市原からの差額運賃である、片道200円の追加料金が必要となる。また、バスは7時台までの早朝や夜間は市原止まりとなり、鞍馬・貴船までは運行していない。そのため、早朝に国際会館駅に到着した場合は、市原駅前バス停までバスで行き、[[市原駅]]から叡電に乗り換えるか、国際会館駅から10分余り歩いて叡電の[[岩倉駅 (京都府)|岩倉駅]]まで行く必要がある。地下鉄烏丸線には[[鞍馬口駅]]があり、ここで誤って下車する人がいるため、国際会館駅まで乗車する旨の自動アナウンスがある。
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** これら3つの代金は、[[身体障害者手帳]]の持参人と、付添人1名は手帳の等級に関係なく無料となる。
=== 夜間の拝観 ===
前述の通り、入口の門は24時間開かれており、夜間でも拝観可能である。しかし入口前や本殿脇の奥の院入口には「夜間はほとんど灯りがないため、ライト無しでの歩行は危険である」「野生生物が出没する」との表示がある。実際には山門から本殿までは、常夜灯が点灯しており、ほぼ懐中電灯なしでも参拝できる。由岐神社あたりは神社境内経由のほうが明るい。ただ、本殿下の「転法輪堂」から上は常夜灯の数が減り、スマートフォン等の明かりが欲しい場所がある。本殿前も夜間の祭礼時以外は明かりがほとんどない。本殿から貴船までは真っ暗となるので、足元の悪さもあり明るい懐中電灯が必要である。すべての堂は閉扉しているので、屋外からの参拝となる。
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