削除された内容 追加された内容
821行目:
女性の洋装は上流階級の社交の場と、ごく一部の職業従事者を除いて普及せずにいた。非難を受け廃止された洋服の代用として、明治中期から女性に[[袴]]が導入される{{Sfn|刑部芳則|2022|pp=96,113-114}}。'''女学生'''の典型的な姿、髪を結んだリボン、小袖、袴、ブーツの組み合わせが誕生し、袴の色から「[[海老茶]]式部」とも呼ばれた{{Sfn|外舘惠子|2017|pp=68-69}}<ref name="fparts3">{{Cite book |和書 |author=溝口康彦 |title=もっと!モダリーナのファッションパーツ図鑑 : デザインをより幅広く、アクセサリーや伝統衣装も充実 |publisher=マール社 |year=2024 |page=152 |isbn=978-4-8373-0923-9 }}</ref>。漫画『はいからさんが通る』の制作に至る動機として、袴にブーツの女学生スタイルを描きたかったことが挙げられており{{Sfn|外舘惠子|2017|p=105}}、作品の流行とアイドルの影響力によって大正を代表するファッションとして伝わる([[#「大正ロマン」を色濃く表現する後世の作品|#後世の作品]])。
 
和服の機能性の問題は識者によって指摘され改善運動が続いたが、洋服は[[職業婦人]]の出勤と女子生徒の通学用途にとどまった{{Sfn|刑部芳則|2022|p=114}}。女学生は大正後期からセーラー服などの洋式制服に切り替わっていったが、家庭や学外の生活では和服が選択された{{Sfn|刑部芳則|2022|pp=145153-154}}{{Sfn|石川桂子|2021|p=36}}。生活様式や伝統だけの理由ではなくもあるが、大正期の和服はあらゆる用途や場面に対応できる種類に増えており、[[銘仙]]、[[お召]]など生地の選択肢も広かった。髪形は[[束髪]]が増えていたが、[[日本髪]]は根強く<ref>{{Cite book |和書 |editor=ポーラ文化研究所 |title=明治・大正・昭和の化粧文化 時代背景と化粧・美容の変遷 |publisher=ポーラ文化研究所 |year=2016 |pages=79-80 |isbn=978-4-938547-98-1 }}</ref>、子供と未亡人以外の断髪は芸能人などの尖端的な女性に限られた{{Sfn|田島奈都子|2019|p=194}}。このため洋装と断髪が特徴とされる'''モダンガール'''は特殊なファッションであった。憧れの職業や改善運動を実践する活動的な女性の姿である一方で、歓楽街に通うような公序良俗に反する行動と不良のイメージで敬遠された{{Sfn|刑部芳則|2022|pp=158-162}}。
 
'''カフェー(喫茶店)の女給'''の姿は、和服の上に胸当て付きの白いエプロンが基本である{{Sfn|石川桂子|2021|p=36}}{{Sfn|田島奈都子|2019|pp=192-193}}。出店と風俗営業が激化する大正末期には、エプロンをやめて洋装やチャイナ服などで特徴づけをする店も現れる。