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背景(アジア・太平洋・オセアニア・北アメリカ・東アフリカ): 出典がない上、第二次世界大戦の背景としては不必要(かつ不自然)に詳細に書かれた内容を削除しました
第二次世界大戦開戦と対独同盟派の停滞: 出典のない独自研究や出典はあっても大戦の背景とまったく無関係の内容を削除しました
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また、これ以後のドイツとの交渉は一切中止となるなど、日本の政界も揺るがす大混乱となった。なお次の駐独大使には、大島とは逆にドイツとの対独同盟に懐疑的で「親米」といわれた[[来栖三郎 (外交官)|来栖三郎]]が継いだ。
 
==== 第二次世界大戦ヨーロッパでの開戦と対独同盟派の停滞 ====
さらに9月1日に[[ポーランド侵攻|ドイツがポーランドに侵攻した]]。これに対して9月3日にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、ついにヨーロッパで'''第二次世界大戦が勃発'''したが、日本は[[阿部信行]]首相が大戦への不介入方針を掲げて参戦しなかった。なおヨーロッパではドイツの同盟国のイタリアも参戦せず、隣国のオランダとベルギー、アイルランドとアメリカも中立を宣言した{{R|名前なし-20230316131624}}が、後にドイツはオランダとベルギーの中立宣言を無視し攻撃することになる
 
独ソ不可侵条約の締結を、日独防共協定を締結したばかりの同盟国である日本に事前通告をしなかっただけでなく、ポーランドへの参戦(とそれに次いで起きることが予想できたイギリスとフランスのドイツ参戦)も、一切日本への事前通告がなかったドイツとの関係は壊滅的なものとなり、度重なるドイツの同盟国無視の態度に怒った日本は、[[阿部信行]]首相が大戦への不介入方針を掲げ日独防共協定を無視して参戦しなかった。陸軍の反対もあったものの、日本政府内の対独同盟(親独)派の勢いはここで完全に停滞した。
 
なおヨーロッパではドイツの同盟国のイタリアも参戦せず、隣国のオランダとベルギー、アイルランドとアメリカも中立を宣言した{{R|名前なし-20230316131624}}が、後にドイツはオランダとベルギーの中立宣言を無視し攻撃することになる。
 
[[外務省 (日本)|外務省のアメリカ局・欧亜局]]は、[[日蘭協会]]総裁の[[E. D. ワルリー]]や[[大川財閥]]の[[南太平洋興業]]と共に[[南進論]]に寄与していた。9月1日の戦争勃発と同時に、欧州の銀行はほぼすべて金融危機に陥ったが、オランダは交通・通信の途絶、輸出入の検視、価格統制等が速やかに行われ、恐慌を逃れることができ、[[株式]]は当初、米国軍需株、オランダ植民地関係、[[船舶]]関係が一斉に平均2割上昇したあと、10月初めには元通りに落ち着いた{{sfn|外務省通商局|1939|p=1291}}。
 
==== ノモンハン事件の終焉とソ連のポーランド侵攻 ====