「第二次世界大戦」の版間の差分
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=== 調印後 ===
さらに翌9月3日に、連合国軍最高司令官総司令部は
これに対して日本の外相[[重光葵]]は、
[[ファイル:Correspondents_interview_"Tokyo_Rose."_Iva_Toguri,_American-born_Japanese._-_NARA_-_520994.tif|right|thumb|GHQによる取調べを受ける「東京ローズ」の1人であるアイバ・戸栗・ダキノ]]
[[画像:RIAN archive 834147 Hoisting the banner in Port-Artur. WWII (1941-1945).jpg|thumb|[[旅順口区]]を不法占領したソ連軍(9月15日)]]
3日には連合国軍最高司令官総司令部よりすべての航空機の飛行が禁止されたほか、漁船を含む船舶の一切の移動が禁じられた。また日本本土を含めた占領下に残った日本軍所有の航空機や船舶、戦闘車両や銃火器、[[刀]]など、すべての武器の連合国軍への引き渡しが横須賀や[[追浜]]、厚木や[[佐世保市|佐世保]]などの大規模な基地より始まっ
マッカーサー最高司令官は9月8日まで横浜の[[ホテルニューグランド]]に宿泊し、そのあと東京のアメリカ大使館に入っている<ref>『大日本帝国の興亡 5』ジョン・トーランド 早川文庫 p.317</ref>。合国軍は直ちに日本軍および政府関係者40人の逮捕令状を出し<ref>『大日本帝国の興亡5』[[ジョン・トーランド]]著 早川書房 p.318</ref>、のちに[[極東国際軍事裁判]]などで裁かれた。日本での戦犯逮捕を指揮した[[エリオット・ソープ]]CIC部長は、[[法の不遡及|遡及法]]でA級戦犯を裁くことに疑問を感じ、マッカーサー最高司令官に「戦犯を亡命させてはどうか」と提案したことがあったが、マッカーサー最高司令官は「そうするためには自分は力不足だ、連合軍の連中は血に飢えている」と答えたという{{sfn|増田|2009|p=332}}。さらに後年、「極東国際軍事裁判は失敗であった」と悔やんでいる{{sfn|袖井|1982|p=122}}。最終的に逮捕したA級戦犯の容疑者は126名となった。
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