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CMA CGMの歴史は、フランスの名門海運企業'''[[メサジュリ・マリティム]]'''(Messageries Maritimes、略称:MM、郵便海運あるいはフランス郵船とも)の前身、メサジュリ・ナシオナル(Messageries Nationales)が[[マルセイユ]]で設立された[[1851年]]に遡る。
[[1855年]]にはもう一つの前身企業であるコンパニ・ジェネラール・マリティム(Compagnie Générale Maritime、略称:CGM、海運総合会社)が誕生し、[[1861年]]には社名を'''コンパニ・ジェネラール・トランザトランティーク'''(Compagnie Générale Transatlantique、略称:TransatまたはCGT、
[[インド洋]]や[[太平洋]]方面への運航を担うメサジュリ・マリティムと、南北アメリカ、とりわけ[[ル・アーブル]]-[[ニューヨーク]]間の幹線を担うコンパニ・ジェネラール・トランザトランティークは、フランスを代表する定期船運航企業([[フラッグキャリア]])としてフランスからニューヨークや世界各地の植民地へ向かう豪華客船などを運航した([[第二次世界大戦]]前の、世界初の全長300メートル超えの大型豪華客船「[[ノルマンディー (客船)|ノルマンディー]]」などを代表とする)。しかし第二次世界大戦後は客船の衰退などで経営が悪化し、コンパニ・ジェネラール・トランザトランティークが1960年代に国家の威信をかけてニューヨーク航路に就航させた「[[フランス (客船・2代)|フランス]]号」も赤字を出し続けた。結局両社は貨物輸送と[[クルーズ客船|クルーズ船]]運航にシフトし、折からの貨物船の[[コンテナ化]]に大きな投資を強いられた。[[1977年]]にはメサジュリ・マリティムとコンパニ・ジェネラール・トランザトランティークは合併し、フランス政府の[[国営企業]]'''コンパニ・ジェネラール・マリティーム'''(Compagnie Générale Maritime、略称:CGM)になった。
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