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当寺に伝わる「須磨寺略歴縁起」によると、[[平安時代]]の初めに漁師が[[和田岬]]の沖で[[聖観音]]像を引き上げた。その聖観音像を安置するために[[淳和天皇]]の[[勅命]]によって恵偈山北峰寺が建立された。そして[[仁和]]2年([[886年]])に[[光孝天皇]]の勅命によって[[聞鏡]]上人が現在の地に上野山福祥寺を建立し、北峰寺よりその本尊である聖観世音菩薩像を遷して福祥寺の本尊としたのが当寺の始まりであるとされている<ref name="fn1">[http://www.suma-kankokyokai.gr.jp/modules/gnavi/index.php?cid=10&page=category 須磨観光協会 - 歴史を知る]</ref><ref name="須磨寺について">[https://www.sumadera.or.jp/about/index.html 須磨寺 須磨寺について 2025年9月22日閲覧]</ref>。しかし、「当山歴代」(兵庫県指定有形文化財)によれば、本尊の聖観世音は[[嘉応]]元年([[1169年]])に[[源頼政]]によって安置されたものであるとしている<ref name="須磨寺について"/>。
 
[[文禄]]5また、同([[1596年]])閏7月13日の[[慶長伏見地震]](文禄大地震)よっ頼政は寺領とし所領3か所を当寺に寄進している。この頃の当寺は聖観世音菩薩・[[三重塔薬師如来]]が倒壊を本尊としているおり房舎は12宇であった<ref name="諸堂案内歴史年表">[https://www.sumadera.or.jp/keidaiabout/indexhistory.html 須磨寺 境内のご案内 諸堂案内歴史年表 2025年9月2223日閲覧]</ref>。
 
[[慶長寿永]]72年([[16021183年]])にはからの源平合戦([[豊臣秀頼治承・寿永の乱]])で縁起・記録類[[片桐且元]]を奉行として本堂を再建散逸している<ref name="歴史年表"/>
 
寿永3年([[1184年]])2月7日にこの付近一帯で[[一ノ谷の戦い]]が行われ、[[源氏]]軍の[[熊谷直実]]が[[平家]]軍の[[平敦盛]]を討ち取っている。その後、当寺には敦盛の首塚が建立されている<ref name="諸堂案内">[https://www.sumadera.or.jp/keidai/index.html 須磨寺 境内のご案内 諸堂案内 2025年9月22日閲覧]</ref>。
 
[[延文]]5年([[1360年]])に金堂・釈迦堂・鐘楼と33体の仏像の半分、経典、法具が大火によって消失した<ref name="歴史年表"/>。その後、[[貞治]]4年([[1365年]])から再建が始められた。これより約50年かけて宮殿([[応安]]元年([[1368年]])造、[[重要文化財]])等の造営、整備が行われる<ref name="歴史年表"/>。
 
[[応永]]34年([[1427年]])に[[赤松氏]]を攻めた[[細川氏]]によって本堂、惣門を残して境内が破壊されるが、翌応永35年([[1428年]])より復興が行われ、[[延徳]]2年([[1490年]])には[[三重塔]]が建立される<ref name="歴史年表"/>。[[明応]]7年([[1496年]])には当寺の再興のために塔頭の大聖院住持・沙門弘源が勧進を行っている<ref name="歴史年表"/>。
 
[[文亀]]2年([[1502年]])に寺山をめぐる争いが起こり、代官によって境内が破壊される<ref name="歴史年表"/>。
 
[[大永]]6年([[1526年]])に講堂が上棟される。また、当寺は平敦盛ゆかりの寺として有名になっていたが、いつの頃からか青葉の笛を公開して笛見料を集めるようになっている<ref name="歴史年表"/>。
 
[[文禄]]5年([[1596年]])閏7月13日の[[慶長伏見地震]](文禄大地震)によって本堂や三重塔が倒壊している<ref name="歴史年表"/><ref name="諸堂案内"/>。
 
[[慶長]]7年([[1602年]])には[[豊臣秀頼]]が[[片桐且元]]を奉行として本堂を再建している<ref name="歴史年表"/>。
 
慶長年間([[1596年]] - [[1615年]])には花巌院、宝生坊、正堂坊、大聖院など15の塔頭があったが、[[寛政]]12年([[1800年]])には塔頭の数は12となっている<ref name="歴史年表"/>。
 
[[寛延]]3年([[1750年]])に山崩れでいくつかの堂舎が大破し、[[宝暦]]年間([[1751年]] - [[1764年]])に改築が行われた<ref name="歴史年表"/>。
 
[[1891年]]([[明治]]24年)に若木の[[サクラ|桜]]にちなんで寺内桜の名所となり、当寺を中心とした大遊園地ができる<ref name="歴史年表"/>。
 
[[1946年]]([[昭和]]21年)に真言宗須磨寺派が開宗されると<ref name="歴史年表"/>、当寺はその大本山となった。
 
[[1984年]]([[昭和]]59年)に三重塔がようやく再建されている<ref name="諸堂案内"/>。
 
[[1995年]]([[平成]]7年)1月17日の[[阪神・淡路大震災]]で被災し、塔頭桜寿院本堂と塔頭蓮生院本堂が倒壊し、本堂、護摩堂、客殿、納骨堂などが破損するなどの被害を受けたが、後に復興された<ref name="諸堂案内"/>
 
[[平敦盛]]遺愛の「青葉の笛」や[[武蔵坊弁慶|弁慶]]の鐘、[[平敦盛|敦盛]]首塚、[[源義経|義経]]腰掛の松など、多数の重宝や史跡が存在する<ref name="fn1"/><ref name="須磨寺について"/>。源平を偲んで訪れる文人も多く、境内には[[正岡子規]]・[[松尾芭蕉]]句碑や、裏には、[[尾崎放哉]]の墓がある<ref name="fn1"/>。
 
== 境内 ==
* 本堂 - [[慶長]]7年([[1602年]])に[[豊臣秀頼]]が[[片桐且元]]を奉行として再建<ref name="歴史年表"/>。ただし内陣の宮殿は[[応安]]元年([[1368年]])造である。[[1972年]]([[昭和]]47年)に[[文化庁]]の指導で全面解体修理が行われ、[[2005年]]([[平成]]17年)にも修理が行われている<ref name="諸堂案内"/>。
* 護摩堂 - [[1903年]]([[明治]]36年)再建。[[2012年]](平成24年)改修<ref name="諸堂案内"/>。
* 十三重石塔(兵庫県指定有形文化財) - [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]造。[[1961年]]([[昭和]]36年)に現在地に移設される。
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* 宝物館 - 青葉の笛などの平敦盛と源平ゆかりの宝物や当寺の歴史的宝物が展示されている<ref name="諸堂案内"/>。
* 唐門
* [[三重塔]] - [[1984年]](昭和59年)再建。[[2014年]](平成26年)に塗り替えが行われている<ref name="諸堂案内"/>。
* [[四国八十八箇所]]石仏群 - 三重塔の周囲に祀られている<ref name="諸堂案内"/>。
* 親子地蔵堂
* 敦盛首塚 - 平敦盛の首塚。なお、[[須磨浦公園]]にある敦盛塚には胴体が祀られている<ref name="諸堂案内"/>。
* 青葉殿(しょうようでん) - 納骨堂。[[2004年]](平成16年)春建立<ref name="諸堂案内"/>。
* 奥の院 - [[2013年]](平成25年)改修<ref name="歴史年表"/>。本尊は[[空海|弘法大師]]<ref name="諸堂案内"/>
* 本坊 - 真言宗須磨寺派の宗務所でもある。また、一絃須磨琴の保存会本部、稽古場にもなっている<ref name="諸堂案内"/>。
* 書院 - [[阿弥陀如来]]を本尊とする持仏堂でもある<ref name="諸堂案内"/>。
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** 平敦盛像
** 熊谷直実像
* 桜寿院 - [[塔頭]]。本尊は[[阿弥陀如来]]<ref name="諸堂案内"/>
** 本堂 - [[2001年]](平成13年)再建<ref name="歴史年表"/>。本尊は[[阿弥陀如来]]<ref name="諸堂案内"/>。
* 蓮生院 - 塔頭。[[1916年]]([[大正]]5年)に花火大会の飛火のため出火、焼失したが、[[1934年]](昭和9年)に[[不動明王]]を本尊として現在地に再建された。蓮生とは熊谷直実が蓮生坊と名乗ったことに由来している<ref name="諸堂案内"/>。
** 本堂 - [[2006年]](平成18年)再建<ref name="歴史年表"/>。
* 貞照寺 - 一ノ谷町にあった寺院<ref>以前は[[真言宗大覚寺派]]の寺院だったが、現在は須磨寺派の寺院となっている。</ref>が[[阪神・淡路大震災]]で被災したため、蓮生院の隣<!--蓮生院旧客殿-->に移転。本尊は弘法大師([[鯖大師]])<ref>[http://www.suma-kankokyokai.gr.jp/modules/gnavi/index.php?lid=20 鯖大師 - 須磨観光協会]</ref>。
* 仁王門 - [[源頼政]]によって再建。[[仁王]]像は伝・[[運慶]]および伝・[[湛慶]]の作であるという<ref name="諸堂案内"/>。
* 正覚院 - 塔頭。
** 正覚院本堂 - 塔頭。[[1925年]](大正14年)に失火で焼失するが、[[1938年]](昭和13年)に現在地に再建。本尊は[[愛染明王]]<ref name="諸堂案内"/>。[[西国愛染十七霊場]]第6番霊場。
* 亜細亜万神殿([[ネパール]]大震災復興紀念堂) - [[2016年]]([[平成]]28年)4月25日落慶。[[東南アジア]]や[[インド]]の石仏が安置され、[[ネパール地震 (2015年)|ネパール大地震]]被災者慰霊と復興を祈る場として整備された<ref name="諸堂案内"/>。
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