「モデナの真珠」の版間の差分
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『モデナの真珠』は長年にわたって大変に華やかな額縁に収められ、エステンセ美術館の収蔵庫で保管されていた。20世紀後半、この作品はおそらくラファエロ派の絵画で、プラド美術館所蔵のラファエロの『聖家族』を17世紀に[[模写]]したものと考えられていた<ref name=AT />。しかし2009年、モデナとレッジョ・エミリアの美術監督官であるマリオ・スカリーニ({{it|Mario Scalini}})は[[サッスオーロ]]の{{ill|ドゥカーレ宮殿 (サッスオーロ)|en|Ducal Palace of Sassuolo|label=ドゥカーレ宮殿}}の収蔵庫の目録を作成した際に本作品に気づき、あまりにもラファエロ的であるとして興味を持った<ref name=RC />。スカリーニによると、作品の優れた品質はさることながら、17世紀ごろの素晴らしい[[額縁]]は価値の低い小品を収めるには異例に思われるほど高級なものであった。さらに資料を精査すると、エステ家がラファエロの女性の肖像画を所有していたことを示す目録の記載を発見した。そこでスカリーニは絵画を[[フィレンツェ]]のアート・テスト研究所({{en|Art-Test laboratory}})で科学的な調査を行った。修復家リサ・ヴェネロージ・ペチョリーニ({{it|Lisa Venerosi Pesciolini}})が同研究所独自のマルチレイヤー層序分析を用いて分析した結果、16世紀と19世紀の修復によって形成された、オリジナルの下絵を含む3つの異なる絵具層の存在が明らかになった<ref name=AT />。特にオリジナルの下絵はラファエロ自身によって描かれたという説を裏付けるのに十分な高い品質が認められた。
さらにプラド美術館の主任保存修復士カルメン・ガリド({{es|Carmen Garrido}})とラファエル・アロンソ({{es|Rafael Alonso}})の協力により、プラド美術館の『聖家族』の聖母マリアの頭部のサイズや輪郭を比較された。その結果、2つの聖母像の頭部はサイズも輪郭も完全に同一であることが判明した。プラド美術館の『聖家族』はラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノが制作した[[カポディモンテ美術館]]所蔵の『[[猫の聖母 (ロマーノ)|猫の聖母]]』({{it|La Madonna della gatta}})をはじめいくつかのバージョンが知られているが、『モデナの真珠』はそれらのうちで最も初期に制作されたバージョンにちがいないと考えられている<ref name=AT />。一方、プラド美術館の『聖家族』はかつてはラファエロの晩年の作品と考えられていたが、現在では一般的にラファエロの素描に基いてジュリオ・ロマーノが描いたと考えられている。しかし[[イギリス]]の[[美術史]]の教授{{ill|ポール・ジョアニデス|en|Paul Joannides}}とトム・ヘンリー({{en|Tom Henry}})は、2012年にプラド美術館で開催された展覧会「最後のラファエロ」({{en|The last Raphael}})において、プラド美術館および[[ルーヴル美術館]]の専門家たちとともに制作者をラファエロであると結論づけている<ref>{{cite web|title=Press conference Late Raphael - Paul Joannides |accessdate=2025-09-25 |url=https://www.museodelprado.es/actualidad/multimedia/press-conference-late-raphael---paul-joannides/06630689-1b6d-488a-9c4c-a4690ca2c27e?searchMeta=paul%20joa |publisher=プラド美術館公式サイト}}</ref>。いずれにせよスカリーニは『モデナの真珠』がプラド美術館の作品よりもラファエロの作風に近いと結論づけている<ref name=MS30 />。
== 来歴 ==
『モデナの真珠』が制作された経緯や初期の来歴は不明である<ref name=MS30>Mario Scalini, p. 30.</ref>。絵画は少なくとも17世紀にはエステ家のコレクションに加わっていたと考えられている。野心家であった[[モデナ=レッジョ公国|モデナ=レッジョ公爵]][[フランチェスコ1世・デステ]]はモデナをかつてのフェラーラ公国のように芸術豊かな国とするため多くの絵画を収集した。その成果は息子[[アルフォンソ4世・デステ]]死後の1663年に作成された財産目録に見ることができる。この目録はエステ家がラファエロの作品を探し求めたことを示唆しており、実際にラファエロ作とされた3点の作品が記載されている。そこにはラファエロがキャンバスに描いた女性の肖像画の記載があり、金箔と彫刻が施された額縁に入れられていたと記されている。また別の個所には普通の額縁に入ったラファエロ作の肖像画の板絵の記載がある<ref>Mario Scalini, p. 14.</ref>。エステ家のコレクションの中でわざわざ額縁について言及している例は稀であり、それはこの作品が収められていた額縁がひときわ目を引く豪華かつ壮麗なものであったことを示している。したがって、キャンバス画と注記されているが、目録に記載された絵画が本作品であることは疑いない<ref>Mario Scalini, p. 19.</ref>。その後、絵画は1746年のドレスデン・セールで売却されることなく、エステ家のコレクションに残り続けた。現在、この作品はエステンセ美術館に収蔵されており、3500万[[ユーロ]]の価値があると見なされている<ref name=AT />。
== ギャラリー ==
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