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天暦8年([[954年]])9月、夫の重明親王が薨去。ついで、応和4年([[964年]])4月、姉の中宮安子が崩御すると、村上天皇は登子を宮中に入内させ寵愛した。
登子の入内には、中宮安子の女房や宮達の乳母などから非難をされたが、村上天皇は夜だけでなく朝昼、政務も放棄して登子と愛し合った。また、皇女[[保子内親王]]が琴を弾く場にも登子をそばに置いた。(栄花物語)
'''『(大鏡)御門わりなくこひしとおぼしければ、めしとりていみしく時めかせて給ひて貞観殿の内侍のかみとぞ申しかし。世になくおぼえおはして、こと女御、御息所、妬ねみ給ひしかど、かひなかりけり。これにつけても、九条殿の御さいはひとぞ人申ける。』'''
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