「敵性語」の版間の差分
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このように「敵性語」「文化弾圧」は、当時のナショナリズムや、戦意高揚運動のひとつとして行政の指導で排撃したものと{{Efn|name="煙草国粋"}}、一般民間人や民間団体や[[マスメディア]]による自己規制によって排斥されたものがある。一例として、太平洋戦争突入直後の1941年(昭和16年)12月24日、[[朝日新聞]]は記事「抹殺せよ"アメリカ臭"」を掲載した{{Sfn|朝日新聞の太平洋戦争記事|1994|p=158}}。[[早稲田大学]]教授[[今和次郎]]を風俗研究の権威として紹介、今野の「大東亞戰爭と同時に友邦秦國でも英語の看板を街頭から一掃したといふではないか、我々日本人を多年毒してきた浮薄なアメリカニズムを今こそ我々は風俗から生活から追放すべきだ」とのコメントを引用し、銀座での英米文化を批判した{{Sfn|朝日新聞の太平洋戦争記事|1994|p=158}}。
なお[[
=== 教育 ===
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*「[[シンガポール]]」→「昭南島」(しょうなんとう)…太平洋戦争開戦後、日本軍が[[日本占領時期のシンガポール|占領した地]]の呼び名が、日本語に改名された例{{Sfn|戦史叢書102|1980|pp=215-216|ps=(原本409-412頁)付録第2 特別の地名・地域の名称}}。
*「[[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]]」→「[[支那]]」…「中国」という呼称は紀元前1000年頃からすでに存在するが<ref name=":1">{{Cite web |title=何以中国?铭刻最早之“中国”——传奇青铜器国宝“何尊” |url=https://zhuanlan.zhihu.com/p/514110305 |website=知乎专栏 |access-date=2023-07-02 |language=zh}}</ref>、[[江戸時代]]以降に日本では中国大陸の呼び名として[[仏典]]に由来を持つ「支那」の呼称が広がった。日本海軍は1918年(大正7年)8月10日に[[遣支艦隊]]を新編し、1937年(昭和12年)10月20日に[[支那方面艦隊]]を編制した。[[日中戦争]]の勃発につれ日本政府による中華民国を指す公式呼称として「支那」が定着した。
このほか、1941年(昭和16年)12月15日の外務省次官会議により、「[[極東]]」の表記が「イギリス中心的だ」として全面禁止となった。日本海軍が徴傭していた[[飯野海運|飯野海運商会]]のタンカー[[極東丸#極東丸(旭東丸)時代|極東丸]]は、「旭東丸」と改名されている。
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=== 飲食物 ===
飲食物に関しては国として統一した規定が流布しなかったため、軍隊や、地域によっては異なる読みが存在する。
*「[[キャラメル]]」→「軍粮精」<ref name="rikugun">陸軍の呼称。</ref>(ぐんろうせい){{Sfn|加茂|1944|p=39}}{{Efn|日本陸軍は1943年11月時点でキャラメルを使用していた<ref name="C14010277700">{{アジア歴史資料センター|C14010277700|「13.猛経主第160号 酒保品ノ補給価格及販売価格ニ関スル件通牒 昭和18年11月5日」、発来翰綴 昭和18年度(防衛省防衛研究所)}} p.5(キャラメル、ビスケット、チョコレート、サイダー、ウイスキー、ココアなどを使用)</ref>。日本海軍や民間では「キャラメル」を使用している{{Sfn|海軍少年飛行兵|1944|pp=101,156|ps=原本157、267頁}}{{Sfn|学校給食の新研究語|1945|p=38|ps=原本61頁}}。}}。
*「[[パン]]」→「焼麦」、「麪包」(めんほう) ただし蒸しパンは「蒸し麦」、揚げパンは「揚げ麦」となる。日本陸軍は「パン」<ref name="C13120646400">{{アジア歴史資料センター|C13120646400|「保育と給養」、健兵対策の参考、中央-軍事行政衛生-125(防衛省防衛研究所)}} pp.16-17</ref><ref name="C13120646500">{{アジア歴史資料センター|C13120646500|「附録」、健兵対策の参考、中央-軍事行政衛生-125(防衛省防衛研究所)}}</ref>。
*「[[フライ]]」→「洋天婦羅」、「洋天」
*「[[オムライス]]」→「卵包飯」(らんぽうはん)
*「[[コロッケ]]」→「揚芋」、「揚じゃが」。日本陸軍は「コロッケ」<ref name="C13120646400" />。
*「[[メンチカツ]]」→「揚肉饅頭」(あげにくまんじゅう){{Refnest|「油揚肉入饅頭」とも{{Sfn|加茂|1944|p=39}}。}}<ref name="shokuseikatsushi">{{Cite book|和書|title=食生活史|author=青木英夫|author2=大塚力|publisher=至文堂|year=1964|page=230|}}</ref>{{Efn|「コロッケ」も使用されていた事例あり{{Sfn|工場給食施設|1943|pp=141-142,167}}。}}
*「[[カレーライス]]」→「ライスカレー」{{Sfn|軍神加藤少将正伝|1943|p=34}}{{Sfn|日本魚名集覽 第二部|1944|p=181}}、{{要出典範囲|date=2025-10-05|「印飯」(いんはん)}}、「辛味入汁掛飯」(からみいりしるかけめし){{Sfn|加茂|1944|p=39}}<ref name="shokuseikatsushi" />。ただし日本陸軍は「カレー粉」を使用し<ref>{{アジア歴史資料センター|C13031957800|「記帳標目「糧秣受払簿 昭和20年度」(防衛省防衛研究所)}}</ref><ref>{{アジア歴史資料センター|C14110491800|「11、野戦速成漬物製造法 昭和18年4月」、陸軍糧食製造法1~24 橋本史料(防衛省防衛研究所)}} p.5〔 里芋カレー粉漬 〕</ref><ref name="C13071784700p1">{{アジア歴史資料センター|C13071784700|昭和19年3月分 陣中日誌 南方軍野戦貨物廠タクロバン出張所(2)」、南方軍野戦貨物廠タクロバン出張所 陣中日誌 昭和19年3月1日~19年9月30日(防衛省防衛研究所)}} p.1</ref><ref name="C13071784600p1">{{アジア歴史資料センター|C14110510600|「燻製卵の製造方法」、ヴィタミンに関する陸軍糧秣研究資料綴 橋本史料、中央-作戦指導兵站-21(防衛省防衛研究所)}} p.1</ref>、「ライスカレー」を使用した事例がある<ref name="C13071784500p14">{{アジア歴史資料センター|C14110510500|「陸軍糧秣本廠研究報告 「ビタミン」Cの安定性に関する研究 昭和19年9月25日(3)」、ヴィタミンに関する陸軍糧秣研究資料綴 橋本史料、中央-作戦指導兵站-21(防衛省防衛研究所)}} p.14〔 第四〇表「ビタミン」C濃厚粉末ヲ利用ノ場合Cハ如何程残ルカ(残存率)〕</ref>。日本海軍や{{Sfn|艦船の科学|1944|p=89|ps=原本157頁}}{{Sfn|海軍少年飛行兵|1944|p=160|ps=原本275頁}}、民間では「カレーライス(ライスカレー)」も引き続き使用{{Sfn|支那語重要単語集|1942|p=166|ps=(原本288頁)加利飯 ライスカレー}}{{Sfn|必勝食糧国防|1942|p=77|ps=原本23頁}}{{Sfn|食糧と体位|1943|pp=31-32,42}}{{Sfn|工場給食施設|1943|pp=167-168,176}}{{Sfn|学校給食の新研究語|1945|p=65|ps=(原本115頁)△ライスカレー、大阪漬}}
* 「[[チーズ]]」→「乾酪」。日本陸軍は「チーズ」<ref name="C13120646500" /><ref>{{アジア歴史資料センター|C14110510700|「鶏卵の新しい加工品 ヨークチーズに就て」、ヴィタミンに関する陸軍糧秣研究資料綴 橋本史料、中央-作戦指導兵站-21(防衛省防衛研究所)}} pp.1-2</ref>。
* 「[[サイダー]]」→「噴出水」。日本陸軍は「サイダー」<ref name="C14010277700" />。
* 「[[ビール]]」→1943年4月以降、各社のブランドが廃止され「麦酒」と書かれたラベルで統一された。
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=== 商品名・ブランド名 ===
太平洋戦争突入後も<ref name="C13071784500p14" />、「ビタミン」など{{Sfn|必勝食糧国防|1942|pp=53-54}}<ref name="C13071784700p1" />、元素記号、薬品の呼称、化粧品などは外国語由来の呼称が多かった<ref name="mac1943,0112p2" />。
*「エンパイヤ自動車」→「帝国自動車」
** ただし、社名の[[エンパイヤ自動車]]はそのままであった<ref>[http://www.empire.co.jp/story/story08.html Growth Story]</ref>。
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=== 植物 ===
太平洋戦争勃発後、[[京都植物園]]で日本語名の研究が行なわれた<ref name="kitamura"></ref>。日本陸軍の[[ビタミンC]]に関する研究資料に、和名の例が載っている<ref name="C13071784200">{{アジア歴史資料センター|C14110510200|「陸軍糧秣本廠研究報告 1.「ビタミン」C天然資源に関する研究(第1報) 樹木及草木類葉部の「ビタミン」C含有量に就て 昭和19年8月7日」、ヴィタミンに関する陸軍糧秣研究資料綴 橋本史料、中央-作戦指導兵站-21(防衛省防衛研究所)}} pp.5-10</ref>。
*「[[トウゴマ|カスタービン]]」→「支那油桐」(しなあぶらぎり)
*「[[コスモス]]」→「秋桜」(あきざくら)
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=== その他 ===
*「[[パーマネントウエーブ|パーマ]]」→「電髪」(でんぱつ)、「淑髪」(しゅくはつ)<ref name="senjichunonippon"/>
*{{要出典範囲|date=2023年2月14日 (火) 03:48 (UTC)|「[[酸素マスク]]」→「[[与圧]]面」(よあつめん)}}。日本陸軍は「酸素マスク」<ref>{{アジア歴史資料センター|C15010773700|「主要兵器概見表 陸軍関係」、解体兵器の処理に関する綴 昭和20.11(防衛省防衛研究所)}} p.1</ref>。
*「[[スクラップブック]]」→「オサイク」<ref>[[江戸東京博物館]]『東京大空襲-戦時下の市民生活』江戸東京歴史財団 1995年 P.73</ref>
* 「[[:en:Smoking_room|スモーキングルーム]]」 →「喫煙堂」{{Efn|name="船表示"}}
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{{No footnotes|section=1|date=2016年9月}}
<!-- 著者五十音順 -->
* <!-- アサヒシンブン1943 -->{{Citation|和書|author=朝日新聞社|date=1943-02|title=軍神加藤少将正伝|pages=|url={{NDLDC|1043583}}|doi=10.11501/1043583|publisher=朝日新聞社|ref={{SfnRef|軍神加藤少将正伝|1943}}}}
* <!-- アサヒシンブン1944 -->{{Citation|和書|author=朝日新聞社|date=1944-02|title=大東亞時局語|pages=|url={{NDLDC|1126411}}|doi=10.11501/1126411|publisher=朝日新聞社|ref={{SfnRef|大東亜時局語|1944}}}}
* <!-- アサヒシンブン1944 -->{{Citation|和書|author=|editor=朝日新聞社|date=1944-04|title=海軍少年飛行兵|pages=|url={{NDLDC|1460209}}|doi=10.11501/1460209|publisher=朝日新聞社|ref={{SfnRef|海軍少年飛行兵|1944}}}}
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*<!-- コウブン -->『戦争と平和の事典 現代史を読むキーワード』 高文研 ISBN 4-87498-162-3
* <!-- ジョル1997 -->{{Cite book|和書|author=ジェームズ・ジョル|authorlink=ジェームズ・ジョル|editor=|others=[[池田清 (政治学者)|池田清]]|date=1997-02|origiyear=1984|title=第一次世界大戦の起源 {{smaller|改訂新版}}|chapter=第八章 1914年の雰囲気|publisher=みすず書房|isbn=4-622-03378-X|ref={{SfnRef|第一次世界大戦の起源|1997}}}}
* <!-- ニホンジョウミンブンカケンキュウジョ1944 -->{{Citation|和書|author=日本常民文化研究所|date=1944-10|title=<small>日本常民文化研究所 彙報 第五八</small> 日本魚名集覽 第二部|pages=|url={{NDLDC|1216591}}|doi=10.11501/1216591|publisher=日本常民文化研究所|ref={{SfnRef|日本魚名集覽 第二部|1944}}}}
* <!-- ハヤシ1945 -->{{Citation|和書|author=林勇記|date=1945-01|title=學校給食の新研究|pages=|url={{NDLDC|1271091}}|doi=10.11501/1271091|publisher=有朋堂|ref={{SfnRef|学校給食の新研究語|1945}}}}
* <!-- ハワード2014 -->{{Cite book|和書|author=マイケル・ハワード|authorlink=マイケル・ハワード_(歴史学者)|editor=|others=馬場優|date=2014-09|origiyear=|title=第一次世界大戦|chapter=第4章 一九一五年 ― 戦争継続|publisher=法政大学出版部|isbn=978-4-588-36607-9|ref={{SfnRef|ハワード、第一次世界大戦|2014}}}}
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