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{{Otheruses|哲学史・思想史上の理想主義|哲学|観念論|国際政治学および国際関係論上の理想主義|理想主義}}
理想主義(idealism、Idealismus)とは、理論哲学(theoretical philosophy)、[[道徳哲学]](moral philosophy)、人生論・[[政治学|政治論]](政治姿勢)、[[国際政治]]の四局面において、[[自然主義]](naturalism)および[[現実主義]](realism)に対立する考え方、立場である。本項目においては前三者について説明する。
 
== 哲学史上の理想主義の位置 ==
[[西洋哲学]]史上、[[自然主義]](naturalism)&[[唯物論]](materialism)か[[観念論]](idealism)&[[理想主義]](idealism)<ref>[[西洋哲学]]で"idealism"で呼ばれるものは、日本の[[近代哲学]]上、一般には[[存在論]]、[[認識論]]上では観念論と訳され、[[道徳哲学]]上では理想主義と訳される。</ref>かで理論対立が続いてきたが、理想主義が隆盛を極めたのは三期あった。一つ目は[[アテナイ]]の[[哲学]]([[プラトン]]、[[アリストテレス]])、二つ目は[[ドイツ観念論]](deutscher Idealismus)、三つ目はドイツとイギリスで同時に興った理想主義([[新カント学派]](Neukantianer)〈Neukantianer〉と[[イギリス理想主義]](British〈British idealism))idealism〉)であった。
 
== 理論哲学 ==
=== 立場の違い ===
実践哲学に対置されるのが[[理論哲学]]であるが、そこでの[[存在論]](ontology)や[[認識論]](epistemology)における、[[自然主義]]と理想主義の間の対立の構図は、マルクス主義が提唱する[[唯物論]]、経験的観念論、客観的[[観念論]]、先験的観念論という区分図式で見てみると、理解しやすい<ref>この図式が理解しやすいということと、それを提供したマルクス主義が真理かとどうかは、別の問題である。ここでは理解しやすいということで提示している。</ref>。ここで、唯物論に対立する観念論は客観的観念論と主観的観念論に分かれ、その主観的観念論はまた、経験的観念論と先験的観念論に分かれる。[[客観]][[存在]]のありようと[[主観]][[認識]]の仕方については下記のように規定できる<ref>[[マルクス主義]]が提唱する[[唯物論]]、経験的観念論、客観的[[観念論]]、先験的観念論の図式によると、唯物論と客観的観念論とは、また経験的観念論と先験的観念論とは、ともに同類項的な親類関係であることが分かる。であるがゆえに、[[ヘーゲル主義]]から唯物論へは容易に変換が可能であり、逆も容易になされうる。また、[[懐疑主義]]は経験的観念論の変形であり、[[神秘主義]]と[[ロマン主義]]は客観的観念論の変形である。</ref>。ここで、一般には唯物論と経験的観念論が自然主義であり、客観的観念論と先験的観念論が理想主義ということになる<ref>先験的観念論([[カント]])の立場からは、唯物論、経験的観念論が自然主義であり、客観的観念論は自然主義でも理想主義でもなく、先験的観念論のみが理想主義という、考えも成立しうる。河合栄治郎「自然主義・経験主義」(1941年)『河合栄治郎全集』第18巻、社会思想社、1968年、97頁。</ref>。
 
=== 自然主義 ===
==== 唯物論 ====
この立場では、[[自然]]客観は[[人間]]主観なしに存在する。自然客観の本質は[[物質]]である。自然客観は人間主観へと、[[客観的]][[理想]]に照らしてではなく、自然な状態で[[反映]][[認識]]され、把握される。他流派からは、この立場は自然客観の認識は何らかの理想、[[カテゴリー]]によらずして、いかにして認識は可能なのかと批判される。
 
==== 経験的観念論 ====
この立場では、客観的理想に照らしてではなく、自然な状態で、人間主観が自然客観を[[認識]]しようとする。人間主観の活動によってはじめて自然客観は認識されるが、その像は人間主観の[[知覚]]に限定される([[ジョージ・バークリー|バークリー]])か、あるいは人間主観の[[印象]]に限定され([[デイヴィッド・ヒューム|ヒューム]])、いずれも自然客観の像は把握し得ないとする。他流派からは、この立場では客観的真理の獲得は無理ではないかと批判される。
 
=== 理想主義 ===
==== 客観的観念論 ====
この立場では、自然客観は人間主観なしに存在する。自然客観の本質は[[精神]]的なものであり、感覚的世界の他に[[イデア]](idea)の世界があり、人間主観がそれを認識するには特殊な状況を要し([[プラトン]])、あるいは[[イデー]](Idee)が自己変化し、認識もその一環としてある([[ヘーゲル]])、いずれも自然客観は人間主観へと認識され、把握される。他流派からは、この立場はイデアやイデーの存在の証明はいかにして可能かと批判される。
 
==== 先験的観念論 ====
この立場では、経験的観念論におけるような自然な状態においてではなく、[[客観的]][[理想]]に照らして、人間主観が自然客観を認識しようとする。人間主観の活動によってはじめて自然客観は[[認識]]されうる。自然客観がどういうものかについては、[[現象]]的に把握できるが、その[[本質]]については究極的には把握できない([[カント]])。他流派からは、この立場は客観的理想の存在の証明はいかにして可能かと批判される。
 
== 道徳哲学 ==
=== 自然主義 ===
[[唯物論]]と経験的[[観念論]]が主張する。
 
この立場では、客観的理想というものはなく、したがって[[善悪]]の絶対的[[判断]]はできず、善悪は相対性のものである。善悪は社会的変遷とともに変化する。感覚的肉体的条件、[[感性]]を重んじ、精神的[[価値]]、[[理性]]に優位を置かない(唯物論、[[功利主義]])。唯一の終局的価値に肯定的態度を採らない([[懐疑主義]]、[[価値相対主義]])。感性の働きによる緩い[[倫理]]を要求する。不断の努力による人間性の完成を無意味とする。理想主義からは、この立場では絶対的な善悪がいえず、そもそも倫理とはいえない、と批判される。
 
=== 理想主義 ===
客観的[[観念論]]と先験的観念論が主張する<ref>注4参照。</ref>。
 
この立場では、客観的[[理想]]に照らして、[[善悪]]の絶対的[[判断]]ができる。善悪は社会的変遷に関わらず一定不変である。感覚的肉体的条件、[[感性]]を軽んじ、精神的[[価値]][[理性]]に優位を置く。理性の働きによる厳しい[[倫理]]を要求する([[カント]])。唯一の終局的価値に肯定的態度を採る([[人格主義]]、[[教養主義]])。不断の努力による人間性の完成を目指す(人格主義)。自然主義からは、この立場では客観的な理想が存在するとはいかにして証明可能かと批判される。
 
== 人生論・政治論 ==
=== 現実主義 ===
この立場は、[[現実]]と[[理想]]とでは、現実を重視する。現実をありのままに肯定する。理想を定立せず、現実の状況によって現実の変更を考える。当面の[[目標]]は現実から導かれるとする。理想主義からは、この立場は現実に埋没して方向を見失う態度、現実対応に追われて本来の意味を見失う態度、盲目的なルーチン行動に陥る動物的態度などと批判される。
 
=== 理想主義 ===
この立場は、[[現実]][[理想]]とでは、理想を重視する。理想との対比で現実を見つめる。理想を定立し、現実を理想に近づけようとする。当面の[[目標]]は究極の理想から導かれるとする。自然主義からは、この立場は地に足がついていない態度、空想に徹する態度、現実の醜さを無視する態度などと批判される。
 
== 四つの局面における関係 ==
四つの局面における各立場の関係については、ある局面である立場を採れば、他の局面では他の立場になるとの必然性はない<ref>正確に言えば、理論を突き詰めれば[[理論哲学]]と[[道徳哲学]]とにおいて、人生論・[[政治論]]と[[国際政治]]とにおいては、各々同じ主義となり、理論哲学・道徳哲学の立場と人生論・政治論と国際政治の立場は異なることはありうる。現に[[国際政治学]]者の[[猪木正道]]は理論哲学、徳哲学、人生論・政治論においては確固とした理想主義者であるが、国際政治においては現実主義者である。</ref>が、たいていの場合、[[理論哲学]]で自然主義を採る者は[[道徳哲学]]、人生論・[[政治論]][[国際政治]]においても自然主義・現実主義を採り、理論哲学で理想主義を採る者は道徳哲学、人生論・政治論、国際政治においても理想主義を採る傾向にあり、そのように首尾一貫している主張が前者では自然主義であり、後者では理想主義である。
 
== 理想主義の特徴 ==
理想主義の特徴は[[現実]]に甘んぜず、常にはるか遠くの[[理想]]を求め、それに少しでも近づこうとする態度である。その態度を崇高な行為と認めるのである。ここから[[人格]]を高めることをよしとする[[人格主義]]や、[[教養]]を深めることが価値ある行為であるとする[[教養主義]]が、帰結するのである。理想主義者は突き詰めれば、人格主義者であり、教養主義者である。この立場に理論的根拠を与えたのは[[イマニュエル・カント]]であり、[[トーマス・ヒル・グリーン]]であり、[[河合栄治郎]]である。
 
== 脚注 ==