「理想主義 (アイディアリズム)」の版間の差分

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== 理論哲学 ==
=== 立場の違い ===
実践哲学に対置されるのが[[理論哲学]]であるが、そこでの[[存在論]](ontology)や[[認識論]](epistemology)における、[[自然主義]]と理想主義の間の対立の構図は、マルクス主義が提唱する唯物論、経験的観念論、客観的観念論、先験的観念論という区分図式で見てみると、理解しやすい<ref>この図式が理解しやすいということと、それを提供したマルクス主義が真理かとどうかは、別の問題である。ここでは理解しやすいということで提示している。</ref>。ここで、唯物論に対立する観念論は客観的観念論と主観的観念論に分かれ、その主観的観念論はまた、経験的観念論と先験的観念論に分かれる。[[客観]][[存在]]のありようと[[主観]][[認識]]の仕方については下記のように規定できる<ref>[[マルクス主義]]が提唱する[[唯物論]]、経験的観念論、客観的[[観念論]]、先験的観念論の図式によると、唯物論と客観的観念論とは、また経験的観念論と先験的観念論とは、ともに同類項的な親類関係であることが分かる。であるがゆえに、[[ヘーゲル主義]]から唯物論へは容易に変換が可能であり、逆も容易になされうる。また、[[懐疑主義]]は経験的観念論の変形であり、[[神秘主義]]と[[ロマン主義]]は客観的観念論の変形である。</ref>。ここで、一般には唯物論と経験的観念論が自然主義であり、客観的観念論と先験的観念論が理想主義ということになる<ref>先験的観念論([[カント]])の立場からは、唯物論、経験的観念論が自然主義であり、客観的観念論は自然主義でも理想主義でもなく、先験的観念論のみが理想主義という、考えも成立しうる。河合栄治郎「自然主義・経験主義」(1941年)『河合栄治郎全集』第18巻、社会思想社、1968年、97頁。</ref>。
 
=== 自然主義 ===
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== 四つの局面における関係 ==
四つの局面における各立場の関係については、ある局面である立場を採れば、他の局面では他の立場になるとの必然性はない<ref>正確に言えば、理論を突き詰めれば[[理論哲学]]と[[道徳哲学]]とにおいて、人生論・[[政治論]][[国際政治]]とにおいては、各々同じ主義となり、理論哲学・道徳哲学の立場と人生論・政治論と国際政治の立場は異なることはありうる。現に[[国際政治学]]者の[[猪木正道]]は理論哲学、徳哲学、人生論・政治論においては確固とした理想主義者であるが、国際政治においては現実主義者である。</ref>が、たいていの場合、[[理論哲学]]で自然主義を採る者は道徳哲学、人生論・政治論、国際政治においても自然主義・現実主義を採り、理論哲学で理想主義を採る者は道徳哲学、人生論・政治論、国際政治においても理想主義を採る傾向にあり、そのように首尾一貫している主張が前者では自然主義であり、後者では理想主義である。
 
== 理想主義の特徴 ==
理想主義の特徴は現実に甘んぜず、常にはるか遠くの理想を求め、それに少しでも近づこうとする態度である。その態度を崇高な行為と認めるのである。ここから[[人格]]を高めることをよしとする人格主義や、[[教養]]を深めることが価値ある行為であるとする教養主義が、帰結するのである。理想主義者は突き詰めれば、人格主義者であり、教養主義者である。この立場に理論的根拠を与えたのは[[イマニュエル・カント]]であり、[[トーマス・ヒル・グリーン]]であり、[[河合栄治郎]]である。
 
== 脚注 ==