「連合国軍占領下の日本」の版間の差分

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実際に日本国の占領統治を行っていたのは約75パーセントの将兵を擁したアメリカ軍と、約25パーセントの将兵を擁した[[イギリス軍]]であり、思想面でアメリカ合衆国との[[冷戦|対立状態]]が始まっていた[[ソビエト連邦|ソ連]]や、終戦後すぐに勃発した[[国共内戦]]のほか、兵站が乏しい[[国民政府|中華民国]]は、アメリカやイギリスのように日本占領で影響力を行使することはできなかった。
 
1945年(昭和20年)[[9月2日]]に、[[日本国政府|日本政府]]代表は[[東京湾]]の[[横須賀市|横須賀]]沖に浮かぶ[[ミズーリ (戦艦)|戦艦ミズーリ]]の艦上で、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[イギリス帝国|イギリス]]、[[国民政府|中華民国]]などの連合国に対して降伏し、[[日本の降伏文書|降伏文書]]に正式に調印した。またその時降伏した相手には連合国の本国だけでなく[[イギリス領インド帝国|英領インド]]や[[オーストラリア]]、[[フィリピン・コモンウェルス|米領フィリピン]]など、連合国の植民地も含まれていた。そして、その時の[[日本の降伏|降伏]]により日本は連合国軍最高司令官総司令部の占領下に入った。総司令官は[[アメリカ陸軍]]の[[元帥 (アメリカ合衆国)|元帥]]ダグラス・マッカーサーであったが、その政治顧問として、国務省からは[[ジョージ・アチソン]]<ref name="ndl">{{Cite web|和書|author=国立国会図書館|date=2003-05-03|url=https://www.ndl.go.jp/constitution/etc/jinbutsu.html#s6_1|title=日本国憲法の誕生 人物紹介|publisher=国立国会図書館|language=日本語|accessdate=2010-02-21}}</ref>が任命された。また、他の連合国軍部隊も派遣され、当初はアメリカ、イギリス、ソ連、中国によって[[日本の分割統治計画|分割統治される案]]も存在したが、前述の理由によりソ連や中華民国がそれほど強い影響力を及ぼすことはなかった。そのため、日本は分割統治を免れた。
 
当時「連合国は日本本土に対して[[軍政 (行政)|軍政]]を実施する」との情報があり、[[9月3日]]に軍政を敷く方針を示した。占領下の公用語も[[日本語]]と[[アメリカ英語]]にするとした。実際に[[千葉県]]の一部地域では既に前日([[9月2日]])から先行する形で事実上のアメリカ軍による[[占領統治|直接統治]]が開始されており、[[教育機関]]や[[エンターテインメント|娯楽施設]]が閉鎖されたほか、[[夜間外出禁止令|夜間外出禁止命令]]も出される事態になった<ref>{{Cite web|title=<つなぐ 戦後78年>「カニンガム・レポート」4日間の「軍政」触れず 終戦直後の館山 明らかに|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/270205|website=東京新聞|access-date=2025-08-22|date=2023-08-15|author=山本哲正}}</ref>。