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{{Infobox artwork
| image = De_verloren_zoon,_Peter_Paul_Rubens,_(1618),_Koninklijk_Museum_voor_Schone_Kunsten_Antwerpen,_781.jpg
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| museum = [[アントワープ王立美術館]]
| city = [[アントウェルペン]]
}}『'''放蕩息子'''』(ほうとうむすこ、{{lang-nl-short|De verloren zoon}}, {{lang-en-short|The Prodigal Son}})は、17世紀[[フランドル]]・[[バロック]]期の巨匠[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]が1618年に板上に[[油彩]]で制作した絵画である。画家の署名は記されていない。1894年に[[パリ]]の画商レオン・ゴシェ (Léon Gauchez) を通して[[アントワープ王立美術館]]により購入され、現在、目録番号781番として同美術館に所蔵されている<ref name="KM">{{Cite web|url=https://www.kmska.be/nlen/collectiemasterpiece/highlights/Verloren_zoon.htmlthe-prodigal-son|title=CatalogueThe entryProdigal Son|access-date=2025/10/14}}</ref>。作品は、2007年にルーベンス研究プロジェクトの一環として調査された<ref>{{In lang|nl}} ''De verloren zoon'' werd in 2007 zeer grondig onderzocht in het Rubensonderzoek.</ref><ref>{{In lang|nl}} Nico Van Hout, in ''Rubensbulletin Jaargang I. De verloren zoon'', 2007</ref><ref>{{In lang|nl}} Maartje Beekman, in ''Rubensbulletin Jaargang I. De verloren zoon'', 2007</ref><ref>{{In lang|nl}} Christine Van Mulders, in ''Rubensbulletin Jaargang I. De verloren zoon'', 2007</ref>。専門家たちは、この作品がルーベンス1人の手になるものであることに同意している<ref name="KM" />
 
== 作品 ==
本作は、放蕩息子が豚飼いとして暮らす羽目になる場面 (15章15-16) を描いている。サイズの小さな本作は、ルーベンスが数々の小さな作品を[[ヤン・ブリューゲル (父)]] と共同で制作していた時代に描かれた。それらの作品で、ルーベンスは人物像を、ブリューゲルは人物像以外のすべてを担当した。[[デン・ハーグ]]の[[マウリッツハイス美術館]]にある『[[人間の堕落のあるエデンの園]]』 (1615年ごろ) は、その一例である<ref name="KM" />
 
『[[新約聖書]]』中の「[[ルカによる福音書]]」 (15章11-32) によれば、ある男に2人の息子がいた。兄は堅実な性格であったが、弟はわがままで、父に相続する財産を分けてほしいと頼む。父は、彼が財産を浪費してしまうことを知りつつも財産を渡した。実際に、しばらくして彼は財産を使い果たしてしまい、食べる物にも困るようになる。その後、悔い改めた彼は、雇人にしてもらおうと父の元に帰るが、父は彼を赦す<ref name="KM" /><ref name="OT">大島力 2013年、146頁。</ref>。この「[[放蕩息子のたとえ話]]」の父は神を、弟は人を表す。人が心から悔い改めれば、神は赦しを与えるという物語である<ref name="OT">大島力 2013年、146頁。< /ref>。
 
本作は、放蕩息子が豚飼いとして暮らす羽目になる場面 (15章15-16) を描いている<ref name="KM" />。作品中の多くの細部は、特殊な意味を持っていると考える研究者もいる。たとえば、後景の[[ハト]]は息子の放蕩生活を、前景の犬は悪魔の誘惑を[[象徴]]すると考えられる。実際、ルーベンスは、彼の博識をこの板絵に披露したかったのかもしれない<ref name="KM" />。ルーベンスは、田舎の農家の生活も含めどんなことにも知識を持っていた。彼はアントウェルペンの町の外にあった農家を訪ね、動物や農業用の機械などの無数の[[素描]]を描いている。それらの素描のいくつかは現存しているが、それらのうちには本作中の放蕩息子の背後にある荷車の素描もあり、この荷車はルーベンスの[[風景画]]にも登場する。工房に戻ってから、ルーベンスはそれらの素描に描かれた別々の要素をパズルのように組み合わせ、絵画を制作した。したがって、本作の牛舎も彼の創作物である<ref name="KM" />
 
画面は非常に精緻に構築されており、前景下部右側にある放蕩息子の物語は霞んでいる。そのため、この絵画が聖書の物語であるのか、農民生活を含む風景画であるのか決めかねる研究者もいる。実際、ルーベンスと同時代の人々の記述によれば、どちらとも分類できない。ルーベンス死後の財産目録では、『牛舎の放蕩息子』とされ、どちらの解釈も含んでいる。18-19世紀に作品は[[イギリス]]にあり、英語の『放蕩息子』という題名は作品の見事な額縁がイギリスで制作されたことを明らかにしている。しかし、いつ額縁が絵画に付けられたかは明らかではない<ref name="KM" />
彼は、田舎の農家の生活も含めどんなことにも知識を持っていた。ルーベンスは、アントウェルペンの町の外にあった農家を訪ね、動物や農業用の機械などの無数の[[素描]]を描いている。それらの素描のいくつかは現存しているが、それらのうちには本作中の放蕩息子の背後にある荷車の素描もあり、この荷車はルーベンスの[[風景画]]にも登場する。工房に戻ってから、ルーベンスはそれらの素描に描かれた別々の要素をパズルのように組み合わせ、絵画を制作した。したがって、本作の牛舎も彼の創作物である。
 
作品のための準備[[素描]]が[[チャッツワース・ハウス]] ([[ダービーシャー]]、[[イングランド]]) と[[アシュモレアン博物館]] ([[オックスフォード]]) に所蔵されている。また、作品は、{{仮リンク|スヘルテ・アダムスゾーン・ボルスウェルト (|en|Schelte Adamsz. Bolswert) }}により[[エングレービング]]にされている<ref>{{In lang|nl}} Yolande Deckers in ''P.P. Rubens. Catalogus KMSKA. Schilderijen - olieverfschetsen'', 1990, p. 46-47.</ref>。
画面は非常に精緻に構築されており、前景下部右側にある放蕩息子の物語は霞んでいる。そのため、この絵画が聖書の物語であるのか、農民生活を含む風景画であるのか決めかねる研究者もいる。実際、ルーベンスと同時代の人々の記述によれば、どちらとも分類できない。ルーベンスの死後目録では、『牛舎の放蕩息子』とされ、どちらの解釈も含んでいる。18-19世紀に作品は[[イギリス]]にあり、英語の『放蕩息子』という題名は作品の見事な額縁がイギリスで制作されたことを明らかにしている。しかし、いつ額縁が絵画に付けられたかは明らかではない。
 
作品のための準備[[素描]]が[[チャッツワース・ハウス]] ([[ダービーシャー]]、[[イングランド]]) と[[アシュモレアン博物館]] ([[オックスフォード]]) に所蔵されている。また、作品は、スヘルテ・アダムスゾーン・ボルスウェルト (Schelte Adamsz. Bolswert) により[[エングレービング]]にされている<ref>{{In lang|nl}} Yolande Deckers in ''P.P. Rubens. Catalogus KMSKA. Schilderijen - olieverfschetsen'', 1990, p. 46-47.</ref>。
 
== 来歴 ==
作品はルーベンスの遺言書に記されており、画家の1640年の死に際し、いまだに彼の工房にあったことが示唆される。1771年に、作品はアントウェルペンのスパンヘン夫人に所蔵されていたことが知られており、彼女はおそらくアントウェルペンの画商{{仮リンク|ディエゴ・ドゥアルテ (|en|Diego Duarte) }}を通して購入したと思われる。次いで、エドワード・ラヴェネル (Edward Ravenell) とアントウェルペンの住民ピーテル・ファン・アールトセラール (Pieter van Aertselaer) に所有されていたことが記録されている。1823-1824年に、作品はジョン・スミスにより売却され、次いで1820年代および、あるいは1830年代にイギリスの[[肖像|肖像画]]家[[トーマス・ローレンス (画家)|トーマス・ローレンス]]に所有された。
 
作品は1836年にウィリアム・ウィルキンズのコレクションにあったが、2年後の彼のコレクションの売り立てでファーラー (Farrer、またはFarrar) という男性に購入されると、この男性はすぐにアンドリュー・フォンテイン (Andrew Fountaine) に売却した。1854年には、フォンテインのコレクションにあった本作をワーヘン (Waagen) という男性、あるいはA・ヴェルトハイマー (A. Wertheimer) という人物 (出典による異なる) が見ている。作品は、アントワープ王立美術館に購入される前の1880年に[[ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ]]の「[[オールド・マスター|オールドマスター]]と[[イギリス]]派の死去した画家たち展」で展示された<ref>{{Cite web|url=https://www.royalacademy.org.uk/art-artists/exhibition-catalogue/1880-old-masters-and-deceased-masters-of-the-british-school|title=Royal Academy article on the ''Exhibition''}}</ref>。
 
作品は1836年に{{仮リンク|ウィリアム・ウィルキンズ (建築家)|en|William Willkins}}のコレクションにあったが、2年後の彼のコレクションの売り立てでファーラー (Farrer、またはFarrar) という男性に購入されると、この男性はすぐに{{仮リンク|アンドリュー・フォンテイン (|en|Andrew Fountaine) }}に売却した。1854年には、フォンテインのコレクションにあった本作をワーヘン (Waagen) という男性、あるいはA・ヴェルトハイマー (A. Wertheimer) という人物 (出典によ異なる) が見ている。作品は、アントワープ王立美術館に購入される前の1880年に[[ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ]]の「[[オールド・マスター|オールドマスター]]と[[イギリス]]派の死去した画家たち展」で展示された<ref>{{Cite web|url=https://www.royalacademy.org.uk/art-artists/exhibition-catalogue/1880-old-masters-and-deceased-masters-of-the-british-school|title=Royal Academy article on the ''Exhibition''|access-date=2025/10/14}}</ref>。
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== 脚注 ==
{{Reflist}}{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
 
* [[岡田温司]]監修『「聖書」と「神話」の象徴図鑑』、ナツメ社、2011年刊行 ISBN 978-4-8163-5133-4
 
* {{In lang|nl}} A.J.J. Delen, in Koninklijk Museum voor Schone Kunsten - Antwerpen. Beschrijvende Catalogus. I. Oude meesters, 1948, p.&nbsp;229.
* {{In lang|nl}} Glück-Haberditzl, nr. 94. Delen, Teekeningen van Vlaamsche Meesters, blz. 103, pl. LVIII. 67.
 
== 外部リンク ==
* [https://kmska.be/en/masterpiece/the-prodigal-son  アントワープ王立美術館公式サイト、ルーベンス『放蕩息子』] {{en icon}}
 
* [https://kmska.be/en/masterpiece/the-prodigal-son アントワープ王立美術館公式サイト、ルーベンス『放蕩息子』] {{en icon}}
{{ピーテル・パウル・ルーベンス}}
 
{{DEFAULTSORT:ほうとうむすこるうへんす}}
[[Category:美術におけるブタ]]
[[Category:美術におけるウマ]]