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'''蔣 雁行'''(しょう がんぎょう)は[[中華民国]]の軍人。[[字]]は'''賓臣'''。[[北京政府]]
== 事績 ==
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[[1920年]](民国9年)8月、参謀本部次長に就任し、復帰する。[[1923年]](民国12年)3月、蒙疆善後委員会委員に異動した。民国14年([[1925年]])10月、[[呉佩孚]]の下で14省聯軍総参謀長に任命された。[[1926年]](民国15年)8月、署陸軍総長となる。[[1927年]](民国16年)1月、罷免されて下野した。[[1931年]](民国20年)以降は[[北京市|北平]]に居住している。
[[1940年]](民国29年)3月30日、南京国民政府([[汪兆銘政権]])が成立すると、蔣雁行もこれに参加した。同年5月、蔣は軍事参議院中将参議に任命され<ref>国民政府令、民国29年5月25日(『国民政府公報』〈汪兆銘政権〉第26号、民国29年5月29日、10頁)。</ref>、その翌月には参議のまま特任官となった<ref>国民政府令、民国29年6月19日(『国民政府公報』〈汪兆銘政権〉第36号、民国29年6月21日、1頁)。</ref>。
[[1941年]](民国30年)、死去。享年67。
==出典==
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== 参考文献 ==
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[[Category:北京政府の政治家]]
[[Category:直隷派の人物]]
[[Category:汪兆銘政権の人物]]
[[Category:日本陸軍士官学校卒業生]]
[[Category:衡水出身の人物]]
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