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経済準学士 (会話 | 投稿記録)
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また、このメモが報道された当時、小泉純一郎首相の靖国参拝に対しての世論調査で参拝賛成が多数を占めた時期であったため、靖国参拝問題に対する批判のための意図的な報道であったという意見もあった。また、A級戦犯の遺族からはそのような発言が存在するはずないと主張もあった。
 
しかしながら、上記の疑念に対し、2007年[[4月26日]]に公開された<ref>[[朝日新聞]]2007年4月26日朝刊および[[山陽新聞]]2007年4月27日朝刊</ref>。皇室の広報を担当し、昭和天皇と[[香淳皇后]]に仕えた故・[[卜部亮吾|卜部(うらべ)亮吾]]元侍従の1988年4月28日の日記には「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」、2001年7月31日の日記には「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」さらに、2001年8月15日の日記には「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」と記述されていることが明らかになり、富田メモは、昭和天皇の直接のご発言であることが確実となった(詳細は[[卜部亮吾侍従日記]]を参照)。
 
 
 
 
 
== 参考文献 ==