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照明 = なし|
設計者 = |
使用チーム、大会 = [[新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ]](2007(2007~現在)~) |
収容能力 = -人 |
規模 = グラウンド面積:-m&sup2;<br/>両翼 - 98 m<br/> 中堅 - 122 m |
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'''柏崎市佐藤池野球場'''(かしわざきしさとうがいけやきゅうじょう)は、[[新潟県]][[柏崎市]]の佐藤池運動広場内にある[[野球場]]。施設は柏崎市が所有し、柏崎市観光レクリエーション振興公社が[[指定管理者]]として運営管理を行っている。
 
== 歴史 ==
かつて柏崎市街地には2箇所の野球場があった。[[新潟県立柏崎高等学校]]のグラウンドには[[1931年]]に内野スタンドが設けられ、野球場としても使用できるようになっていた(スタンドは現在も存続。地元では「柏高球場」と呼ばれていた)。柏高球場では[[1950年]][[7月18日]]に[[日本プロ野球|プロ野球]][[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]公式戦・[[読売ジャイアンツ]](巨人)対大洋ホエールズ(現[[横浜ベイスターズ]])11回戦が開催された。また1964年の国民体育大会に合わせて柏崎市民野球場が建設された(佐藤池野球場完成後に閉鎖・撤去、現新潟県立柏崎アクアパーク立地)。両球場はいずれも[[高校野球]]など[[アマチュア野球]]公式戦が行われていたが、老朽化が進んでいたことなどから、市は[[柏崎刈羽原子力発電所]]の建設に伴って国から交付された電源立地地域対策交付金の一部を活用して新たな野球場を市郊外に建設する事を決定、市街地南東側の佐藤池新田地内を建設候補地とした。同所はその地名が示す通り、かつてあった「佐藤ヶ池」という池を埋め立てて造成された土地で、地盤の不安定さが問題だったものの、市は「土地の取得額が他所に比べて安価であり、地盤沈下もメンテナンスで克服できる」として同地を建設地に決定し、工事が進められた。
地名が示す通り、かつては「佐藤ヶ池」という池が存在した場所である。野球場は[[1986年]]11月に完成、翌[[1987年]][[5月23日]]、初の[[プロ野球]]公式戦となる[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]対[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]7回戦が球場開きとなった。しかしこの試合は、前日まで降り続いた雨の影響でグラウンドコンディションが良くない中で強行された。開始時間が30分遅れたのに加え、試合中には雨脚が強まって1時間に亘って中断するなどした。更には照明設備が設置されていないということもあって、午後5時44分、8回表一死無走者を以って4-4で同点のまま[[サスペンデッドゲーム]]となった。
 
地名が示す通り、かつては「佐藤ヶ池」とい池が存在た場所である。野球場は[[1986年]]11月に完成、翌[[1987年]][[5月23日]]、初の[[プロ野球]]公式戦となる[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]公式戦南海ホークス(現[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]][[千葉ロッテンズ|(現[[千葉ロッテンズ]]7)7回戦が球場開きとなった。しかしこの試合は、前日まで降り続いた雨の影響でグラウンドコンディションが良くない中で強行された。開始時間が30分遅れたのに加え、試合中には雨脚が強まって1時間に亘って中断するなどした。更には照明設備が設置されていないということもあって、午後5時44分、8回表一死無走者を以って4-4で同点のまま[[サスペンデッドゲーム]]となった。
[[アマチュア野球]]のこけら落としは同年7月、夏の[[全国高等学校野球選手権大会]]新潟県大会。佐藤池球場はメイン開催球場となり、開幕戦と準決勝以降の試合が行われた。その後もプロ野球の他、[[高校野球]]などアマチュア野球の公式戦が行われたが、元々沼地という立地条件が災いし、深刻な地盤沈下にさいなまされ続けている。
 
初めて開催された[[アマチュア野球]]のこけら落とし公式戦は同年7月、夏の[[全国高等学校野球選手権大会]]新潟大会。佐藤池球場は同大会のメイン開催球場となり、開幕戦と準決勝以降の試合が行われた。その後もプロ野球の他、[[高校野球]]などアマチュア野球の公式戦が行われたが、元々沼地という立地条件が災いし、深刻な地盤沈下にさいなまされ続けている。
[[画像:satogaike_liquefaction_20041030.jpg|thumb|240px|right|中越地震で発生した、佐藤池球場付近の液状化。球場内外で陥没や噴砂が起こった(2004年10月30日、右翼場外)]]
更には[[2004年]][[10月23日]]に発生した[[新潟県中越地震]]では[[液状化現象]]により球場内外で陥没、噴砂などが発生。フィールドが全体に沈降して右側に大きく傾斜するなど甚大な被害を受けた。市はこの中越地震による被害とは別に、元々地盤沈下が激しいため良好なプレー環境が提供できなくなった事から、[[2005年]]・[[2006年]]の2年間に亘って球場を閉鎖して地盤調査を行った上で、震災復旧を兼ねて地盤改良・外野拡張など改修工事を実施(一部では「中越地震で被災したため改修を行った」などと報じられているが、改修工事そのものは地震発生以前から予定されていたものである)。2006年秋までに改修工事をほぼ完了。フィールドも両翼98m、中堅122mに拡張され、アマチュア公認規格を充足したものの、照明設備の追加設置は行われなかった。
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==主なエピソード==
*前述の1987年の南海対ロッテは本来であれば中止すべきコンディションであったのに、地元の主催者が開催するよう執拗に嘆願したため、それに審判団らが折れる格好で強行したもの。主催者は翌[[5月24日|24日]]の[[新潟市鳥屋野運動公園野球場|新潟市営鳥屋野野球場]]でも強行を試みたものの中止となり、決定直後には観客が関係者に詰め寄るトラブルが発生。この2日続きのトラブルが元で、主催者は「営業優先主義」などと痛烈な批判にさらされた。サスペンデッドとなった柏崎の試合の再開分は、次回同カードが行われる[[7月7日]]の[[平和台球場]]での試合前に行われる予定だったものの、当日は雨天に祟られ中止。翌[[7月8日|8日]]にやっと試合が行われ、5-4で南海がサヨナラ勝ちした。
*[[1989年]][[5月27日]]に行われた公式戦・[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]][[横浜ベイスターズ|大洋ホエールズ]]戦で、大洋のルーキー・[[谷繁元信]]が[[尾花高夫]]から公式戦初本塁打を放った。谷繁は「この球場のことも、尾花さんのことも、一生忘れないと思います」と喜びを噛みしめていた。
 
==設備概要==
改修前(2004年シーズン当時)のものを示す。
 
* グラウンド面積:12,838m<sup>2</sup>&sup2;
* 両翼:92m、中堅:120m
* 内野:クレー舗装、外野:天然芝