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羽田線
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*1945年10月 - 米軍板付基地として接収。
*[[1951年]]10月 - 民間航空の航空路(福岡-[[大阪国際空港|大阪]]-[[東京国際空港|東京]])が開設。
* [[1960年]]6月 - [[日本航空]]、[[羽田 - 福岡線|東京国際空港(羽田空港)-福岡空港(板付空港)間]]に[[終夜運転|深夜割引便]]ムーンライト号運行開始。
* [[1961年]]10月 - 日本航空、東京国際空港(羽田空港)-福岡空港(板付空港)間にジェット旅客機就航。
*[[1965年]]9月 - 国際線(福岡-[[釜山]])が開設。
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*[[1996年]][[6月13日]]、[[ガルーダ・インドネシア航空]]865便(マクダネル・ダグラス[[DC-10 (航空機)|DC-10]])が離陸に失敗しオーバーラン、炎上。乗客3人死亡。乗客乗員18人が重傷を負う。([[福岡空港ガルーダ航空機離陸事故]])
*[[2005年]][[8月12日]]、午後7時45分発の福岡空港発[[ホノルル国際空港]]行き[[JALウェイズ]]58便([[DC-10 (航空機)|DC-10]])が離陸直後、福岡市東区社領2丁目~3丁目上空で、第1エンジンが異常燃焼し爆発、エンジンの部品が同区内社領2丁目~3丁目に多数落下した。その後、同機は福岡空港に緊急着陸する為、引き返した。なお、本件は統計上は事故ではなく、イレギュラー運航扱いである。[[日本航空123便墜落事故]]20年目のまさにその日、しかも同じような時間帯に発生したため、偶然取材で福岡空港に来ていた[[NHK福岡放送局]]の取材クルーが、このJALウェイズ機のエンジンが火を噴く瞬間を撮影し、その日夜の[[NHKニュース]]などで映像が流された。
*[[2007年]][[2月3日]]朝、同空港に着陸した[[羽田 - 福岡線]]の[[東京国際空港]]発[[全日空]]241便([[B777]]-200)が着陸滑走中に左エンジン下の点検パネルが落下する事故が発生し、滑走路が6分間閉鎖された(ただしこちらも事故というよりはイレギュラー運航である)。
 
== 特徴 ==
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福岡空港の年間発着回数14万回(国内線12.6万回、国際線1.4万回)は、[[東京国際空港|羽田]]、[[成田国際空港|成田]]に次いで国内で3番目。2800m滑走路1本による運用のため、滑走路一本あたりの離着陸回数が日本で最も多い。また、2006年9月の[[YS-11]]最終退役時は、同型機が最も多く飛来する空港でもあった。
 
大都市圏拠点空港に次ぐ主要地域拠点空港と位置づけられ、国内路線の福岡-[[東京羽田 - 福岡線]]は[[羽田 - 千歳空港|羽田 - 新千歳]]-東京線に次いで乗降客数が多い[[ドル箱]]路線である。大阪や[[中部国際空港|名古屋]]への便数も多く、[[東海道新幹線|東海道]]・[[山陽新幹線]]、[[高速バス]]との熾烈なシェア争いを繰り広げる。
 
日本の[[政令指定都市]]の中でも[[東南アジア]](特に[[大韓民国|韓国]][[釜山広域市|釜山]]や[[ソウル特別市|ソウル]]、[[中華人民共和国|中国]][[上海]]や[[北京]])に最も近い土地柄と言う事もあるため、国際線もアジアを中心に充実しており、路線数は22路線(2006年1月現在)で、年間旅客数は約224万人(2004年)。国内線の路線数は25路線で、年間旅客数は約1632万人(乗客と降客の合計 2004年で日本第5位)。国内線、国際線の双方を併せた総旅客数では約1856万人(2004年)で、羽田、成田に次ぐ日本第3位の旅客数を誇る。(因みに[[大阪国際空港]]とは僅差ではあるが、7万人程度多い)。九州山口地域の空港輸送のシェアでは、国内旅客47%、国際旅客93%、国内貨物63%、国際貨物97%を占める(2000年)。
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;日本航空
<small>([[ジェイエア]]、[[JALエクスプレス]]、日本トランスオーシャン航空の機材・乗務員で運航する便あり)</small>
;*[[新千歳空港]]、[[東京国際空港|羽田 - 福岡線]]、[[成田国際空港]]、[[名古屋飛行場]]、[[中部国際空港]]、[[大阪国際空港]]、[[関西国際空港]]、[[那覇空港]]
 
;[[日本トランスオーシャン航空]]