「大阪市交通局2201形電車」の版間の差分
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==登場、直接制御車への改造==
2201形は[[大阪市電今里車庫|今里車庫]]に配属され、同車庫のメインラインである5系統(今里~上本町六~湊町駅前~境川町~玉船橋)、6系統(今里~日本橋一~北浜二~淀屋橋~大阪駅)をはじめ、8系統(阿倍野橋~下味原町~玉造~四ツ橋~本田町一)や27系統(上本町六~大正橋~鶴町四)などの系統にも投入された。
こうして登場した2201形であるが、性能を追及するあまりに、制御器が複雑な構造になったことと制御電圧が28Vと低かったことなどが故障の原因となっただけでなく、直接制御とエアブレーキだけの従来車に慣れていた運転手が間接非自動制御で電空単一ブレーキの2201形の運転操作に戸惑ってしまい、事故を続発させてしまったことから、保守・運転の両面で問題を抱えた2201形に対して労働組合から改善要求が出されてしまった。その後、今里車庫が浸水被害にあった際に制御器が浸水したことから、制御器を直接制御のKR-8に換装し、併せて電空単一ブレーキはエアブレーキのみとなり、モーターはSS-60からパワーダウンしたSS-50(37.5kw/h)に取り替えられ、弾性車輪も通常の車輪に変更されるなど、先に登場した[[大阪市交通局2101形電車|2101形]]と変わりのない性能の車両となってしまった。しかし、2201形の間接制御車時代のトラブルは、間接制御車の運転と保守のうえで貴重なデータを提供したことから、2201形自体はダウングレード化されたとはいえ、決して無駄ではなかった。
==ワンマン改造==
2201形はその後も今里車庫に配属されていたが、[[1965年]][[12月26日]]から[[大阪市電港車庫|港車庫]]担当の23系統(港車庫前~川口町~北浜二~京阪東口~東野田~都島本通~都島車庫前)がワンマン化された際に、全車が港車庫に転属の上、2601形14両とともにワンマン改造を実施された。改造時にツーマンカーと区別するために水色の帯を巻き、出入口に案内表示灯、前中ドア間にスピーカー、前面にバックミラーをそれぞれ取り付けて、ビューゲルに換えてZパンタを装備するなど、ワンマン運転向けの改造を施された。2601形ワンマン改造車ともども大阪市電唯一のワンマンカーとして活躍を続けたが、[[1968年]]5月に京阪東口~港車庫前間が廃止されることによってワンマンカーの運転は終了し、2201形は休車状態で都島車庫に保管されたが、市電全廃直前の[[1969年]]3月に全車廃車された。同じワンマンカー改造車でも2601形からの改造車は廃車後[[広島電鉄]]に移籍して[[広島電鉄900形電車|900形]]となったが、車齢のあまり変わらない2201形は、内装が半鋼製であったことや、落とし込み式の車掌台窓がラッシュ時に車掌が乗務する広電市内線において車掌の側方監視に不便であるということから譲渡されなかった。
廃車後は、2201号がワンマンカー第1号車であることを記念して、保存車として森之宮車両工場に保管されたほか、学校や公共施設に払い下げられた車両もあった。現在では、2201号のみが現存している。
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