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=== 子供 ===
親戚の男の子を養子にとり、長男とした。その子は、[[太平洋戦争]]中、軍需工場で働くことを自ら志願し、申込み、終戦直前に満洲国の軍需工場に出発した。「満洲へ…おいお前みたいなモノが満洲へ行ったら、それこそ大変だよ。とてもつとまりはしませんよ。考え直してごらん」と言ったが、息子は翻意しなかった。「'''お前は桂文楽の子だから'''捕虜になると承知しませんよ」と息子にいったのが親子の最後の会話となった。それから何の音沙汰もない。文楽は息子を探し続け、マスコミなどあらゆるつてを頼み、また新聞の引揚者欄や[[日本放送協会|NHK]]たずね人の時間を欠かさずチェックした。拝み屋([[柳家小さん (4代目)|4代目柳家小さん]]の実妹)にもすがったが、「息子さんはいま金魚になっています」と要領を得ない答えであった。どこにも手がかりがないまま、戦後20年以上経ってしまう。自らの死の直前になって初めて、息子が死んだことを認め、供養をし、並河家の墓にその名を刻んだ。
 
最後の後妻([[長唄]]師匠)との間に別の息子が一人いる。大学を出、芸界に進まず、[[ケーキ]]の[[パティシエ]]となった。黒門ならぬ[[東京大学]]の[[赤門]]近くで「創作ケーキとカレーのお店 アルルカン」を経営している。地域ではケーキの名店として知られ、皇族([[雅子妃]])が東京大学在学中によく通った事でも知られる。