「赤塚不二夫」の版間の差分
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他の追随を許さない卓越した[[ギャグ漫画]]センスの持ち主であり、バカボンのパパ、イヤミ、ニャロメ、ケムンパス、ベシ、ウナギイヌなどのマンガ史に名を残す個性的なキャラクターを生み出した巨匠である。
また、1970~80年代の映画のプロデューサー、あるいは音楽選曲担当者に「赤塚不二夫(もしくは赤塚不二男)」なる人物の名が見受けられるが、全くの別人である。(ただし、お互いに親交はあった。)
== 人物 ==
1935年に満州国の[[熱河省]]において出生。「[[バカボンのパパ]]の[[モデル]]」とも言われる父親は、[[憲兵]]であった。幼少時から[[手塚治虫]]作品などを読み、12歳で『ダイアモンド島』というSF巨編を書き上げ、出版社へ持ち込むがダメ出しされる。[[第二次世界大戦]]の終戦後日本に戻り、[[新潟県]]や[[奈良県]]などで暮らした後、19歳の時に[[東京]]へ。[[江戸川区]]の化学工場に勤務する傍ら漫画を
中でも、初期代表作『おそ松くん』の特にイヤミの「[[シェー]]」のポーズは当時の日本で知らない人はいないほどの爆発的な人気を巻き起こし([[ジョン・レノン]]や[[徳仁親王|皇太子徳仁親王]]、さらには[[ゴジラ]]までが「シェー」をした。<ref>もっともレノン自身は『おそ松くん』の詳細は知らず、来日時に会った記者の薦めで「シェー」のポーズの写真を撮らせたに過ぎない</ref>)、赤塚を日本を代表する漫画家にした。1950年代~60年代生まれの男性の多くが、子供の頃記念写真を撮るときはふざけて「シェー」のポーズを取る事が「お約束」になっており、誰でもそのスナップが必ず一枚は残っていると言われるほどである。
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第10回(昭和39年度)[[小学館漫画賞]]受賞(『おそ松くん』)。
[[1963年]]、トキワ荘時代の仲間が設立した[[アニメーション]]製作会社の[[スタジオ・ゼロ]]に参加。アニメ『おそ松くん』の制作を担当させる。[[1965年]]、[[長谷邦夫]]、[[古谷三敏]]、[[横山孝雄]]、[[高井研一郎]]等と[[フジオ・プロダクション]]を設立。分業制による漫画制作体制を確立させた。この意味で、「赤塚不二夫」は、本人自身にとっても、「藤子不二雄」や「さいとうたかを」などと同様、フジオプロ
当時は、漫画家としては異例のテレビの司会に抜擢。「マンガ海賊クイズ」では、[[黒柳徹子]]と共に司会を担当した。これを機に、赤塚の交流は、芸能界にも広がる。一例をあげても[[立川談志]]、[[荒木経惟]]、[[由利徹]]、[[唐十郎]]など当時から一線で活躍していた人物たちであった。<br>
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代表作は単に[[アニメ]]化されるのみならず、何度も[[リメイク]]されているものも少なくない。また、自身の生み出したキャラによる[[絵本]]や[[学習漫画]]なども多い。視覚障害者向けに[[触図]]と[[点字]]でギャグ漫画を書くという画期的な試みも行い、[[2000年]][[8月16日]]の毎日新聞に紹介されたこともある。2000年8月21日に点字の漫画本が発売されると、点字本としては空前の[[ベストセラー]]になった。
[[2002年]]4月に[[脳内出血]]を起こし倒れて以来、創作活動を休止している。[[2007年]]現在は病院にて療養中。<!--復帰に向けて[[リハビリ]]に励んでいる。-->なお、「[[なぎら健壱]]FC会報」によると[[2004年]]から意識不明のまま[[植物状態]]にあるという([[2006年]]末に眞知子夫人の訃報を取り上げた[[報道ステーション]]で、赤塚が現在意識不明であると改めて伝えられた)。
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*おた助くん
*メチャクチャNo1
*ラブユーミー君
*ハタ坊とワンペイ
*そんごくん
*死神デース▼
*ニワトリ一家
*ぶッかれダン
*おれはゲバ鉄!
*オッチャン
*少年フライデー
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*花の菊千代
*大先生を読む
*ダイアモンド島
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*狂犬トロツキー(作・[[滝沢解]])
*鬼警部(作・滝沢解)
▲*死神デース(作・滝沢解)
*くそババァ!(作・滝沢解)
*建師ケン作(作・[[牛次郎]])
*ハウスジャックナナちゃん(作・[[筒井康隆]] 小説「家族八景」の漫画化)
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*くらやみの天使(U・マイヤ名義。ほか2作。いずれも[[石ノ森章太郎]]、[[水野英子]]との合作)
*ちりぬるを…(いずみあすか名義。ほか3作。石ノ森章太郎との合作。「石塚不二太郎」名義の作品も1作あり)
*おハゲのKK太郎([[藤子・F・不二雄]]との合作。チビ太と[[オバケのQ太郎|オバQ]]の共演。)
*ギャハハ三銃士([[藤子不二雄]]、[[つのだじろう]]との合作)
*しびれのスカタン(原案とキャラクターデザインを担当。実際は長谷邦夫の作品)
*オールナイトデッコ(原案を担当。実際は古谷三敏の作品。赤塚の名前を出していないが、初期の「[[ダメおやじ]]」も同様のケース。なお、古谷との共作は青年誌向けを中心に他に数作ある。)
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