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'''鍋田干拓地'''(なべたかんたくち)は、[[愛知県]][[弥富市]]にある[[干拓|干拓地]]。[[海部郡]]鍋田村(後に弥富町、現在は弥富市)の地先を干拓し陸地化された。
 
==地理==
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現在の鍋田干拓の一部は江戸時代末期に八穂新田、六野新田、上野新田として計390haが干拓されていたが、度重なる水害や[[1854年]]([[安政]]元年)の大地震などにより長い間海に沈んだまま放置されていた。ただ、海に沈んだとは言え地権者の権利は存続しており、地権者など整理のため、行政上小字名も存在していた。地元の人々は干拓地跡で葦を刈って収入を得ており、これが漁業権と共に再度の干拓の妨げとなって、長らく干拓地は復旧されなかった<ref name = "nihonnokantakuti">山野明男『日本の干拓地』財団法人農林統計協会、2006年2月10日発行</ref>。
 
===鍋田干拓地として着工===
鍋田干拓地は食糧増産や農家の二男、三男対策等を目的として[[18461946年]]([[昭和]]21年)、当時の農林省により着工された。当初の計画面積は633.23ha。中央の水路を挟んで西側の一期工区と東側の二期工区に分けられ<ref name = "nihonnokantakuti"/>、後には現在の木曽岬干拓地の場所に木曽岬工区204haも計画された<ref>『木曽岬町史(木曽岬村史改訂版)』木曽岬町役場、1998年3月31日発行</ref>。[[1955年]](昭和30年)に潮止めを行い、[[1956年]](昭和31年)には一期生50名の入植が行われた。入植者は公募で集められ、面接で選考後、当時豊橋市にあった開拓訓練所と現地で訓練を受けて入植した。入植者の住居は現在とは異なり、干拓地内に広く分散する形で設けられる事となっていた。入植者は当初は干拓地の建設工事に従事していたが、[[1959年]](昭和34年)にはようやく営農が開始された。その年の9月までに工事の93%が完了しており、翌年の3月にはすべて完了する予定となっていた<ref>弥富長身編纂委員会、安藤敬一郎監修『弥富町誌』弥富町、1994年3月31日発行</ref>。
 
===伊勢湾台風===
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*[[1858年]](安政5年) - 復旧が断念され、これ以降長らく亡所のまま放置される
 
*[[18461946年]]([[昭和]]21年) - 国の直轄事業として鍋田干拓事業に着手
*[[1955年]](昭和30年) - 潮止め工事完了
*[[1956年]](昭和31年) - 入植を開始
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==問題==
干拓地内は人口密度が低い上に北部以外には住宅地が存在せず、また、まとまった土地が手に入りやすい事から、干拓地やその周辺にはし尿処理場やゴミ焼却場といったいわゆる「迷惑施設」が建設されている。当然地元としても当然これらを好んで受け入れてきたわけではなく、1993年(平成5年)に[http://www.uoara.or.jp/ 魚アラ処理施設]が建設された際には、これ以上迷惑施設を建設しない事が約束されていた<ref>海部・津島 焼却場の行方 ゴミ問題和解に寄せて(下)『中日新聞』1997年9月20日 朝刊 地方版(尾張版) 22面</ref>。にもかかわらず、2002年(平成14年)には[http://www.atkankyo.or.jp/index.shtml 海部地区環境事務組合]の八穂クリーンセンター(ゴミ焼却場)が建設されているこれは、計画当時[[佐織町]](現・[[愛西市]])にあったゴミ焼却場が、周辺住民と約束した操業期限を越えた事から、一時停止を求める仮処分申請を出されるような事態となってい<ref>愛知県佐織町の清掃工場-周辺住民28操業中止求め仮処分申請『朝日新聞』1997年5月7日 名古屋朝刊 21面</ref>一方、他に移転可能な土地が見つからず、結局鍋田干拓地で受け入れるほか無かったためである。さらに後には日光川下流流域下水道の最終処分場も隣接地に建設されることとなった。ただし、迷惑施設の建設により多額の周辺対策費が落ちているのも事実ではある。ごみ処分場建設の際には、ごみ焼却熱を利用した入浴施設付きの「弥富いこいの里」が建設された。
 
また、元々名古屋市に近い上に、近年は伊勢湾岸自動車道を初めとする道路交通網の発達が著しく、農業の斜陽化もあって、農地を転用して物流施設などを建設すべきとも言われる<ref>西進する湾岸道 弥富インター開通(上)『中日新聞』2000年3月25日 朝刊 20面</ref>。
 
上記のように民家が少ない上に人口密集地に近く、道路交通網も発達している事から、ゴミの不法投棄が絶えないなど問題もある<ref>施策ウォッチ 不法投棄のごみに泣く 弥富 県内有数の米所、鍋田干拓『中日新聞』1998年2月17日 朝刊 21面</ref>。
 
==文化財==
*伊勢湾台風殉難之碑
*八穂地蔵:明治8年に猟師により引き上げられ、江戸時代の八穂新田の地蔵として別の地に安置されていたが、[[1963年]](昭和38年)に鍋田干拓地内へ移された。
 
==参照==