「元寇」の版間の差分
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戦術や対策としては、
# 先述の防塁に楯を用いた防御。
# 前回の文永の役での元の戦力を分析し、日本は元軍より射程距離の長い弓矢を開発して使用した。(一方、東路軍は、沖の波に揺られる船上から不安定なまま矢を射ることとなり、射程距離も及ばないことも重なり、日本軍にダメージを与えられないまま、沖の上で停滞を強いられた。)
# 夜間、日本側からの小舟に分乗して、高麗船を奇襲。狭い船内での斬り合いでは、日本の武士の方に分があった。
# 合流するはずだった江南軍は、指揮官の交替と、多人数による混乱により、統率が取れず、東路軍との合流が、1ケ月半ほど遅れた。
# 一方、東路軍は、博多沖の海上で釘付け状態となり、度重なる日本軍のゲリラ戦術と食料や水不足と発生した疫病により、「兵糧攻めと同じ」状態になって疲弊していた。
# 江南軍が送れて出発したが、そのために、台風時期と重なり、合流前にほぼ壊滅状態。博多沖の東路軍も、時間差で同じ台風ないしは、熱帯低気圧によって壊滅したとみなされている。
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