「エホバの証人とホロコースト」の版間の差分

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批評家は、[[ものみの塔聖書冊子協会|ものみの塔協会]]はナチス政権宛の手紙の中で、ナチス政権に「協調」する態度を示しているゆえに、同協会はドイツのエホバの証人の迫害を無視していた、と主張している。[http://www.jwic.com/hitler.htm エホバの証人の情報センター]を参照。
 
これに対かしエホバの証人は、この手紙では、ものみの塔協会はナチ政権と一部同じ思想を持っていると述べているに過ぎない、と主張しているエホバの証人彼ら「宗教」(ここではエホバの証人以外の宗教を意味する。今日では「偽りの宗教」、「大いなるバビロン」と呼ばれる)を敵視していたし、「ユダヤ人」から資金援助を受けたことはなかった、と主張している彼らは、こうした点ではナチ政権と態度が一致していたので記述しているに過ぎない、と主張している彼らによれば、このように部分的な共通点を探る証言の仕方は、使徒パウロがアグリッパ王に共通点を証言した点と似ている、という。(使徒26:25-28)勿論エホバの証人は、彼らは預言書を信じていることでは一致していたが、パウロがアグリッパ王の思想とか不道徳な生活とかを支持していなかったことは明らかであだ、としている。
 
またエホバの証人はナチ政権を背後で動かしているサタンに対していたのであって、ナチ政権やアドルフ・ヒトラーに反対していたわけではない、と主張している。エホバの証人にとってナチス・ドイツも聖書のローマ人への手紙13章1節のいう「上なる位の権威」であり、彼らが聖書の教理に反しない限り、彼らに服従する義務を持つ、とエホバの証人は信じている。
 
また、批評家たちは、「[[1933年]]6月25日、エホバの証人の[[ベルリン]]大会は[[ドイツの国歌|ドイツ国歌]]斉唱で始められた。これは[[ナチス]]に対する迎合ではないか」、と主張している。歴史学者ジェームズ・ペントン (James Penton) による主張は、[http://www.jwic.com/hitler.htm エホバの証人情報センター: ナチス・ヒトラーと「ものみの塔協会」との協調関係]を参照。これに対してエホバの証人側は、「ベルリン大会で歌われたのは 1928年版歌集 64番の歌 『シオンの栄えある希望 (''Zions herrliche Hoffnung'')』 (ドイツ国歌と同じメロディー。[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]作曲) で、エホバの証人の歌集には 1905年以来掲載されてきた歌である。そのメロディーが[[1922年]]からドイツ国歌に使われたものだ」、と反論している。
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さらに、批評家たちは「『シオンの栄えある希望』 は、英語版歌集には 1905年以来掲載されているものの、ドイツ語版歌集に初めて掲載されたのは 1928年 (メロディーがドイツ国歌になってから 6年後) である」、との再反論をしている<ref name="german1928">[http://www.sektenausstieg.net/index.php?option=com_content&task=view&id=669&Itemid=29 Deutschlandlied in Liederbuch der Zeugen Jehovas - Problem] (ドイツ語サイト) を参照。<br />[http://www.sektenausstieg.net/index.php?option=com_content&task=view&id=669&Itemid=29&limit=1&limitstart=1 1905年版ドイツ語歌集の表紙と目次] - ''Zions herrliche Hoffnung'' は載っていない。<br />[http://www.sektenausstieg.net/index.php?option=com_content&task=view&id=669&Itemid=29&limit=1&limitstart=2 1923年版ドイツ語歌集の表紙と目次] - ''Zions herrliche Hoffnung'' は載っていない。<br />[http://www.sektenausstieg.net/index.php?option=com_content&task=view&id=669&Itemid=29&limit=1&limitstart=3 1928年版ドイツ語歌集の表紙と 64番の楽譜] - ''Zions herrliche Hoffnung'' が掲載された。</ref>。しかし、ドイツ国歌はナチス台頭前から存在すること、当時エホバの証人の活動が政府の監視下にあったこと、当時翻訳は[[タイプライター]]などを使って手作業でなされたことなどを考え、エホバの証人側はこうした非難は事実無根であると反論している。
 
また、批評家たちは、「[[1933年]]6月25日の[[ベルリン]]大会に[[鉤十字]]が飾ってあった」と主張している。しかし、ベルリンの大会会場内に鉤十字が飾ってあったという事実はない。[http://watchtower.org/images/g/1998/7/8/fp13.jpg]仮にそれが事実だとしても、それを撤去することは、ローマ13章の聖書の指示に反している。今日でもエホバの証人は主張している。エホバの証人は、自分たちが大会場所として借りている施設の国旗を無断で撤去したりはしないことを証拠に挙げている
 
== 参考文献 ==