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== 沿革 ==
1300年代、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]、[[南朝 (日本)|南朝]]の武将が([[後醍醐天皇]]:家主の先祖は[[万里小路藤房|万里小路(までのこうじ)藤原藤房]]。後醍醐天皇に仕えた公家)、[[北朝 (日本)|北朝]]([[足利尊氏]])方との戦いに敗れ[[落ち武者]]となり、[[南部藩]](金田一)に落ち延びた。この時6歳と4歳の男の子がおり、金田一までたどり着くと同時に兄の[[亀麿]](かめまろ)は病に倒れ短い生涯を閉じる。死の床で「末代まで家を守り続ける」と言い息を引き取った。
この亀麿の[[霊]]が家の奥座敷「槐の間」に棲みつき『家の守り神』となり、時々姿を見せるようになったと言い伝えられている。この部屋に泊まり、座敷わらしに出会えると驚くほどの幸運に恵まれ男は[[出世]]し、女は[[玉の輿]]にのると一般的に言われている。
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