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しかし天竜峡付近はもともと狭隘で土砂を溜めやすかったため、河床が上昇し十勝の一部は水面下に沈んだり砂に埋もれるなどした(これには下流にある[[泰阜ダム]]の設置が影響しているといった見解もある<ref>[http://www.city.iida.nagano.jp/furusato/016/f1601.htm 水難の里に生きる] - [http://www.city.iida.nagano.jp/furusato/016/f1600.htm 情報ガイド飯田 Vol.16]</ref>)。その後、[[1984年]]から天竜峡下流側で川底からの砂利採取を継続的に行うことで、河床が低下し景観がある程度回復した(たとえば、芙蓉峒の文字のうち「芙蓉」までが水面上に現れるようになった)。
 
[[1969年]]には近隣地域とともに天竜奥三河国定公園に指定された。[[1975年]]には[[中央自動車道]]の[[飯田インターチェンジ (長野県)|飯田インターチェンジ]]が供用開始され、[[1977年]]の[[昼神温泉]]湧出とあわせ、天竜峡を訪れる観光客も増加した。[[1989年]]の天竜峡温泉湧出により、観光客は60万人にも達したが、その後は低迷している<ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/hobby/157711/ 観光名所をふたたび… 天龍峡百年再生プロジェクト始動] - [http://www.iza.ne.jp/ イザ!]</ref>。
 
[[2008年]]には[[三遠南信自動車道]]の部分開通、[[天龍峡インターチェンジ]]の供用開始に伴い同年を「天龍峡再生元年」と位置づけ、100年をかけて100年前([[明治]]末~[[昭和]]初期)の景観を取り戻す「天龍峡百年再生プロジェクト」の開始が宣言された<ref>[http://www.kyousen.com/02-info/ic.html 天龍峡I.C開通に伴う地域再生プロジェクト] - [http://www.kyousen.com/ 峡泉]</ref>。またこれに合わせて地元では、新字体である「竜」の字を各種碑文や名勝指定<ref>[http://www.bunka.go.jp/bsys/index.asp 国指定文化財等データベース] - [文化庁]</ref>で用いられている旧字体の「龍」表記に戻す活動が進められている。