「グニラ・ユーハンスドッテル」の版間の差分

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'''グニラ・ユーハンスドッテル'''または'''グニラ・ビエルケ''' (Gunilla Johansdotter / Gunilla Bielke, [[1568年]] - [[1597年]])は、[[スウェーデン]]王[[ヨハン3世 (スウェーデン王)|ヨハン3世]]の2度目の王妃。
 
== 生涯 ==
王の従弟で[[エステルイェートランド地方|エステルイェートランド]]知事を務めるユーハン(またはヨハン)・アクセルソン・ビエルケの娘として生まれ、10歳頃から王女[[アンナ・ヴァーサ|アンナ]]の遊び相手として宮廷で暮らした。
 
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グニラはブロンドの髪を持つ非常に美しい女性だったといわれ、明らかにヨハン3世の性的嗜好からの再婚であった。王は、なぜ高貴な王女を娶らないのかという議会の質問に答え、自分は美しい妻が欲しいのだが婚約交渉で相手が送ってくる肖像画の中に美女がいないからだ、と言った。
 
グニラは老齢の王を操り、また甘やかされ、権力と財力を持つ王妃へと変貌した。それまで前王妃[[カタジナ・ヤギェウォンカ]]の影響から[[カトリック教会|カトリック]]に同情的だった王は、とたんに[[プロテスタント]]支持に変わった。1589年、グニラは息子エステルイェートランド公ヨハンを生んだ。
 
ヨハン3世が亡くなると、グニラは王宮に残り、自身と息子のため遺産相続をめぐって亡夫の弟[[カール9世 (スウェーデン王)|カール]]と争った。王位を継いだのは[[ポーランド王国|ポーランド]]王も兼ねた義理の息子[[ジグムント3世|シギスムンド]]であったが、彼が戴冠式のため王妃[[アンナ・フォン・エスターライヒ (1573-1598)|アンナ]]を連れて帰国すると、信仰の違いを理由にグニラはこの義理の娘と険悪になった。しかし、遺産相続が解決していないので居づらくとも[[ストックホルム]]にとどまった。グニラは遺産の一部を相続すると、ブロボリ城に引退し、そこで4年を過ごして死んだ。