「芳沢光雄」の版間の差分
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数学研究の専門は置換群と組合せ数学。かつての置換群論の大家Wielandtの学位論文を約40年ぶりに大きく改良した有限多重可移置換群の論文(Osaka J. Math. vol.16(1979)775-795)が学位論文。「無限次数の4重可移置換群の4点の固定部分群の位数は無限」(J. London Math. Soc. (2) vol. 19(1979)437-438)という結果は、その後の置換群の書によく引用されている面白い結果。また、アソシエーションスキームの構造を満たすデザインの研究(Canad. J. Math. vol.33(1981)1432-1438他)も行っていた。それらは著書「置換群から学ぶ組合せ構造」(日本評論社)に載せられている。「偶置換・奇置換一意性の別証明」(日本数学会「数学」vol.58(2006)411-413)はあみだくじの発想による証明で、小学生でも視覚的に理解できるものである。その詳しい解説は「数学的ひらめき」(光文社新書)を参照。
1990年代以降は、ゆとり教育導入による数学の学力低下を危惧し、数学教育の重要性と充実を訴える活動に力点を置いている。証明教育を中心とした“考えて論述する”教育の重要性を新聞・雑誌などで多数掲載している(読売新聞「論点」と朝日新聞「私の視点」にそれぞれ複数回ある)。07年4月からスタートした毎日小学生新聞の週一回の連載「芳沢先生の身近な算数教室」は2年間にもおよぶ。また、全国各地の小・中・高校への出前授業や教員研修会の講師を積極的に引き受けている。06年7月に東京理科大学と松山市で共催した小説「坊っちゃん」100周年記念事業の一環として愛媛県立松山東高校(旧・松山中学)で行った授業、07年9月のマナカナとの数学ライブ(明治大学)等はNHKの全国ニュースで見た者も多い。3年間に渡って訪ねた秋田県大仙市西仙北西中学校がブラックバスの研究で日本学生科学賞を受賞されたときの読売新聞秋田版に載った手記(08年2月6日)には感動的なものである。ただ、小学校での出前授業をもっとも大切にしている。それは著書のほか、文部科学省の事業「その道の達人」の予算削減から08年度は1校程度になったが、鹿児島県日置市立鶴丸小学校を選んだことからも想像できる。次期学習指導要領の算数の改定で3桁×3桁や3つの数字の四則混合計算等が復活・重視されるようだが、委員となっていた文部科学省委託事業「教科書の改善・充実に関する研究」で最後に取りまとめた提言(08年春)にその主張が盛り込まれたことが少なからず影響しているようだ。07年4月からの桜美林大学勤務はリベラルアーツ学群設置人事(11年3月完成)であり、08年秋に5回に渡って連載された朝日新聞東京都版キャンパスブログ、09年数学セミナー2月号「教育提言」などによると、代数学、離散数学、中等数学教育法I,II,III,IV、自然科学基礎、専攻入門、専攻演習、数学概論、リベラルアーツセミナー、自然科学実験、などの授業のほか、学内での特別講演などを精力的にこなしている。オープンキャンパスでの模擬授業も精力的に行っていて、まだ東京理科大学を本務校としていた06年夏にも桜美林大学で行ったほどである。数学の専任教員スタッフが3人で中学・高校の数学教員免許を取得できるようにした面での貢献は小さくないが、リベラルアーツ学群完成年度の11年4月にそのまま現職に確実に留まるのだろうか。
<一般・教育関係の主要著書>
算数・数学の”不思議”をカラーのイラストでまとめた絵本「ふしぎな数のおはなし」(数研出版)、算数・数学のつまずきの研究をまとめた「算数・数学が得意になる本」(講談社現代新書)、小・中・高校での自らの出前授業の内容を多く含んで社会生活との関係を重視している「数学的ひらめき」(光文社新書)、数学的な考え方をまとめた「数学的思考法」(講談社現代新書)、優しい心を前面に出した空想怪獣絵本物語「数のモンスターアタック」(幻冬舎)、算数が苦手だった幼少時代から数学好きになったかのきっかけとアドバイスの本音の重要部分を書いた「ぼくも算数が苦手だった」(講談社現代新書)、マークシート式数学入試問題の問題点(裏技)や入試数学の答案の書き方と作問の本音を述べた「出題者心理からみた入試数学」(講談社ブルーバックス)など。
日本数学会評議員(平成7年度)、日本数学教育学会理事(平成13,14年度)、第19期日本学術会議第4部委員などを歴任している。
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