「シンエイ動画」の版間の差分
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|業種 = 5250
|事業内容 = アニメーションの企画・制作
|代表者 = [[
|資本金 = 100,000,000円
|売上高 =
|従業員数 =
|決算期 =
|主要株主 = 株式会社[[テレビ朝日]]
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東京ムービーから独立後のデビュー作は、PR用の短編映画『草原の子テングリ』([[1977年]])。しばらくは他社の[[グロス請け]]などをこなしたのち、[[1979年]]には事実上の失敗作とされていたテレビアニメ『[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん]]』を苦心の末、再びアニメ化にこぎ着ける。このシンエイ版『ドラえもん』の成功が、シンエイ動画の経営を支えた。
そして業務拡大のため、[[1982年]]には社屋を田無市南町に移転。そして[[1980年代]]を中心に数多くの[[藤子不二雄]]作品や[[コロコロコミック]]連載作品などを中心に、次々とアニメ化。これらは[[テレビ朝日]]系を中心に放映され話題となった。[[1992年]]には西東京市田無町に現在の社屋を新築し移転。この青い塗装のビルは、同社の経営を支えた『ドラえもん』に感謝を込め『ドラえもんビル』という愛称がある。この同年にはテレビアニメ『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』がスタート。社会現象に至るヒット作となる。[[2003年]][[1月]]には、テレビ朝日がシンエイ動画の10%の[[株式|株]]を引き受け、両社は資本提携する。[[2009年]][[4月]]より、テレビ朝日がシンエイ動画の株式の大半を取得し、テレビ朝日の完全子会社になる予定<ref>「[http://www.varietyjapan.com/news/business/2k1u7d00000diofa.html シンエイ動画、テレビ朝日の完全子会社に]」 [[バラエティ・ジャパン]] 2008年10月2日</ref>。新社長は岩永惠に、楠部三吉郎は代表取締役会長へ就任した。
==== 社名の由来 ====
「シンエイ」の由来は、楠部大吉郎によると、「'''新生Aプロ'''」、「'''新'''しい'''A'''プロダクション」という意味であり、新鋭という意味だとは説明していない<ref>『アニメージュ』1985年1月号、徳間書店。楠部大吉郎インタビューでの本人の証言。</ref><ref>『アニメージュ』2000年5月号、徳間書店(小黒祐一郎『この人に話を聞きたい アニメプロフェッショナルの仕事 1998-2001』飛鳥新社、2006年、p.317)。シンエイ動画社員の[[渡辺歩]]が楠部から説明されたという証言。</ref>。発足時にシンエイ動画役員を務めた大塚康生も、自身の著書で新生Aプロという意味だと記している<ref name="nemop55" />。しかし、設立時のメンバーの一人である{{要出典範囲|別紙壮一は新Aという意と新鋭をかけたと証言している|2009年3月5日 (木) 14:19 (UTC)}}。公式サイトでは'''「新しいAプロ=『新A』」、'''そして'''「アニメ界の『新鋭』でありたい」'''と伝えている<ref>「[http://www.shin-ei-animation.jp/modules/company/index.php?id=2 会社沿革]」 シンエイ動画公式サイト</ref>。新しく作られた[[ロゴタイプ]]は、シンエイの「A」に漫画風の頭と手を付けた、マスコットキャラクターの様なデザインとなっている。このキャラクターの名前は「'''エーちゃん'''」である<ref>[http://www.shin-ei-animation.jp/sensoudouwa08/bp/ キクちゃんとオオカミ ブログパーツ] シンエイ動画公式サイト</ref>。
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* [[楠部大吉郎]](創業者)
* [[楠部三吉郎]](代表取締役会長)
* [[山田俊秀]]
* [[茂木仁史]]
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