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一方、1929年に「[[改造 (雑誌)|改造]]」に発表した論文で論壇に登場。「[[思想(雑誌)|思想]]」の編集に関わったのち、戦時中は思想懇談会に参加し、戦後は三年会、[[世界連邦運動]]に加わる。「[[婦人公論]]」主幹、帝室博物館(現・[[東京国立博物館]])次長、「[[心 (雑誌)|心]]」編集代理委員を務めた。また[[宮沢賢治]]の研究家でもあり、自ら詩も書いた。戦後すぐ、[[和辻哲郎]]、[[安倍能成]] 等と[[昭和天皇]]の話し相手をした事を度々述べる事等で[[象徴天皇制]]を擁護した。『[[世界 (雑誌)|世界]]』の創立メンバーの一人であった。昭和天皇[[崩御]]に際しての『世界』の特集号で、唯一天皇を称える文章を載せている。
1967年叙[[勲等|勲二等]]授[[瑞宝章]]。1987年[[文化功労者]]。
1989年9月27日未明、虚血性心不全
== 著書 ==
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