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Point136 (会話 | 投稿記録)
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[[レークプラシッドオリンピック (1980年) におけるスキージャンプ競技|レークプラシッドオリンピック]]70m級では八木ら二人いた2位にわずか1点差の4位。あと50cm長く飛んでいれば、銀メダルが獲得でき、表彰台に日本選手が2人上がることができた。また、90m級では公開練習、トライアルではともに3位以内をキープし、日本選手で初の90m級でのメダル獲得が期待されたが、10位に終わった。
 
[[サラエボオリンピックにおけるスキージャンプ競技|サラエボオリンピック]]では、日本選手で最もメダルに近いと言われながら、直前に[[瀬棚町]]で交通死亡事故を起こしてしまい、出場停止とはならなかったが、出場辞退に追い込まれた。しかし五輪直前の[[宮の森ジャンプ競技場]]でのワールドカップで快勝したこともあり、ファンや関係者からは辞退を惜しむ声が多数聞かれた。
 
そのリベンジを賭けて[[1985年]][[2月10日]]の[[大倉山ジャンプ競技場|大倉山]]でのワールドカップ札幌大会に出場、1本目7位だったが、雪が勢いを増した2本目、[[イェンス・バイスフロク]]や[[マッチ・ニッカネン]]といった1本目上位の世界の強豪がまともなジャンプが出来ずに次々と失速する中、一人きっちり飛んだ秋元が大逆転で優勝した。