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== フュージリアの歴史 ==
[[File:James II (headshot).jpg|right|thumb|120px|ジェームス2世]]
 
[[File:George Legge, 1st Baron Dartmouth by John Riley.jpg|right|thumb|120px|ダートマス卿。]]
17世紀の前半のヨーロッパで開発された[[フリントロック式]]銃は、従来の[[火縄銃|マッチロック式銃]]のように火の付いた火縄や火種を持ち歩く必要がないため、引火性の物質が近くにあっても安全であり、即時に射撃できる状態のまま負革で背負うことも出来るようになった。そのため、行軍の際は大量の火薬を積んだ馬車を押し、敵が現われたら即時に応戦する必要がある、[[砲兵]]段列の護衛隊は最初に配備された部隊の一つだった。この、軽量のフリントロック式[[マスケット銃]]を装備した兵士は'''フュージリア'''([[:en:Fusilier|Fusilier]])と呼ばれ、17世紀後半には部隊が編成されるようになった。
 
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1714年には[[ウェールズ]]のハーバート卿連隊(Lord Harber's Regimen)がフュージリア兵連隊に改編され、'''ロイヤル・ウェルシュ・フュージリアーズ連隊'''<ref>現在は'''ロイヤル・ウェルシュ'''([[:en:Royal Welsh|Royal Welsh(R WELSH)]])第1大隊。</ref>([[:en:Royal Welch Fusiliers|Royal Regiment of Welch Fusiliers]])となった。18世紀半ばに各連隊へ番号が割り当てられた際は、イングランドの連隊には”第7”、スコットランドの連隊には”第21”、ウェールズの連隊には”第23”が割り当てられた。
[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]
 
[[モンマス公爵ジェームズ・スコット]]
フリントロック式銃を優先配備されていた兵種としては、各歩兵連隊の中隊として編成され、擲弾の投擲を任務とした[[擲弾兵]]があり、彼らも同様に手を空けるために銃を背負い、必要があれば背負った銃を迅速に構えるためることが要求されていた。そのため、フュージリア兵と擲弾兵の服装や装備は似たものとなっていた。
 
擲弾が使われなくなり、全軍がフリントロック式銃を装備するようになると、ヨーロッパ諸国では”擲弾兵”が精鋭部隊の名誉称号となり、フランスでは一般歩兵部隊が”フュージリア”と呼ばれた。一方、イギリスでは歩兵連隊の精鋭中隊を”擲弾兵中隊”とし、1836年以降はヨーロッパ諸国の”擲弾兵連隊”<ref>[[近衛兵 (イギリス)#近衛擲弾兵連隊|近衛擲弾兵連隊]]は[[ワーテルローの戦い]]に於てフランス軍の精鋭である擲弾兵部隊を破ったためにこの名称を与えられた。</ref>に相当する精鋭部隊の名誉称号として、'''”フュージリア連隊”'''の名称を与えるようになった。その様なわけで、フュージリア連隊の制服は各連隊の擲弾兵中隊と共に、各時代に於ける他のヨーロッパ諸国の擲弾兵の服装に準じて変遷して行った。
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[[Image:Uniform - Fusilier - Royal Scotch Fusiliers (1742 Cloathing Book).jpg|right|thumb|120px150px|1742年のフュージリア兵。]]
;(写真右)1742年のロイヤル・ノースブリティッシュ・フュージリアーズ(第21連隊)兵士。
:”ロイヤル”なので折り返しが[[青|ロイヤルブルー]]、”フュージリアー”なので帽子や剣は擲弾兵式のものを着用。当時、第5,6,20連隊はまだ”ロイヤル”にも”フュージリアー”にもなっていなかったので、一般歩兵の服装・装備だが([[#統合された連隊]]の項を参照)、第7連隊は”ロイヤル・フュージリアーズ”なので、この絵と同様の服装だった。この第21連隊はスコットランドの連隊なので帽章はシッスル勲章の星章だが、第7連隊はイングランドの連隊なので[[ガーター勲章]]の星章の中心に赤いバラを配したものだった。また、第21連隊が帽章に王冠を着けることを許されたのはこの後だが、第7連隊はこの頃既に帽章の上に王冠を着けていた。
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[[File:George Legge, 1st Baron Dartmouth by John Riley.jpg|right|thumb|120px|ダートマス卿。]]
File:James Scott.jpg|モンマス公爵
File:William III of England.jpg|ウィリアム3世
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フリントロック式銃を優先配備されていた兵種としては、各歩兵連隊の中隊として編成され、擲弾の投擲を任務とした[[擲弾兵]]があり、彼らも同様に手を空けるために銃を背負い、必要があれば背負った銃を迅速に構えるためることが要求されていた。そのため、フュージリア兵と擲弾兵の服装や装備は似たものとなっていた。
 
擲弾が使われなくなり、全軍がフリントロック式銃を装備するようになると、ヨーロッパ諸国では”擲弾兵”が精鋭部隊の名誉称号となり、フランスでは一般歩兵部隊が”フュージリア”と呼ばれた。一方、イギリスでは歩兵連隊の精鋭中隊を”擲弾兵中隊”とし、1836年以降はヨーロッパ諸国の”擲弾兵連隊”<ref>[[近衛兵 (イギリス)#近衛擲弾兵連隊|近衛擲弾兵連隊]]は[[ワーテルローの戦い]]に於てフランス軍の精鋭である擲弾兵部隊を破ったためにこの名称を与えられた。</ref>に相当する精鋭部隊の名誉称号として、'''”フュージリア連隊”'''の名称を与えるようになった。その様なわけで、フュージリア連隊の制服は各連隊の擲弾兵中隊と共に、各時代に於ける他のヨーロッパ諸国の擲弾兵の服装に準じて変遷して行った。
 
 
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{{Main2|各連隊の歴史名称の変遷|#統合された連隊の沿革}}
 
== 統合された連隊の沿革 ==
=== ロイヤル・ノーサンバーランド・フュージリアーズ(5) ===
[[File:Soldier of 5th regiment 1742.jpg|right|thumb|150px|]]
([[:en:Royal Northumberland Fusiliers|Royal Northumberland Fusiliers]])
[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]
 
[[モンマス公爵ジェームズ・スコット]]
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=== ロイヤル・ウォリックシャー・フュージリアーズ(6) ===