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12世紀に入ると管を接続することが可能になる。トゥーバ、リトゥスは[[東ローマ帝国|ビザンチン]]を通って[[アラビア]]の影響を受け、非常に長い楽器が作られるようになり、管型が円筒に近づいていった。中世初期のこの円筒形のトランペットは、'''クラーロ'''(claro)あるいは'''ブイジーヌ'''(buisine)と呼ばれていた。
 
1240年には、イタリアの[[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フェデリーコ2世]]が'''トゥベクタ'''(tubecta)という楽器を作らせた記録があり、この言葉が'''トロンベッタ'''(trombetta)あるいはその後[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]の詩に初めて現れる'''トランペット'''(trumpet)という語の起こりである。トゥベクタもローマ時代のトゥーバという語の縮小形である。この楽器がどのような形であったか不明であるが、現在のトランペットにかなり近づいたS字形の管を持つ楽器は、1400年に最古の資料がある。30年後には現代と同じ巻管のものが現れる。この頃の楽器は、現在のものよりベルが小さく、管の肉が厚く、マウスピースも重いことから、他の木管楽器や弦楽器と音色や音量の点で同等に演奏できたことを示している。当時巻管のものは'''クラリオン'''(clarion)、直管のものは'''トロンバ'''(tromba)との古文献の記載があるが、前者は高音域用のトロンバ(トランペット)のことで、楽器の構造が異なるところはない。後に高音域をクラリーノと呼称されるようになるが、それ一般的な形状のナチュラル・トランペットでも高音域を担当する楽器の呼称として便宜的に同前で呼んでいが使用され例は引き続きことがく見られるかった。古典派の作曲家は、音域の低い古典派時代のトランペット・パートについても「クラリーノ」と楽譜に指定する例が多数ある。これは高音域を担当する本来のクラリーノ奏者がいなくなった時代に、その下の音域担当であったプリンティパル奏者が事実上トップ奏者となっていたことがひとつの理由であるが、高いパートの方をそのように呼ぶ習慣が18世紀中は残存してのである。
 
長い楽器は、基音(第1倍音)が低くなるので、現代の短管ものでは不可能な上の方の倍音が出しやすく、バロック時代に至っては簡単なメロディーが演奏できるようになった。だが、まっすぐ長い楽器では、戦争や狩猟などに用いるには非常に不便なため、14,15世紀に入ると、様々な形に曲げられるようになった。それでも依然として音程的には何の進歩もなく、相変わらず倍音しか出すことができなかった。