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'''小笠原 長治'''(おがさわら ながはる、[[永禄]]13年/[[元亀]]元年([[1570年]])? - 没年不詳)は、[[日本]]の[[江戸時代]]初期の[[兵法家]]、[[剣客]]。[[真新陰流]][[剣術]]の開祖。号は源信斎。[[直心影流剣術]]においては道統4代目に位置づけられ、「韜の形」は彼の考案によるものと伝わる。
 
[[高天神城]]主の[[小笠原長忠]]の甥、弟か判然としない。[[奥山公重]]より[[新陰流|神影流]]を学び、真新陰流を生む開く
 
[[豊臣秀吉]]に仕え、[[小田原の役]]、[[大坂の役]]の[[西軍]]に出陣。落城後に[[明]]に渡り、矛を習得して「八寸の延金」術を編み出したとされる
帰国後は剣客と多く立合い、敵う者は無かった。
 
「八寸の延金」は不敗の技といわれたが播せず、後世の[[白井亨]]は自力でこれを体得復元した。
 
門下に[[針ヶ谷夕雲]]、[[神谷直光|神谷伝心斎]]がいる。