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小説執筆活動も学生時代から活発に行っていた。跡見学園高等学校時代には文芸部の部長を務め、早稲田大学ではサークル「[[ワセダミステリクラブ]]」に名目のみながら2年間所属していた<ref name="manga"/>。その当時の作品を収録した短編集として、『接吻』が刊行されている。他にも、『真夜中の天使』や『トワイライト・サーガ』など、商業誌デビュー前に書かれた作品がのちに出版された例が多くみられる。また、 [[安部公房]]、[[大江健三郎]]、[[サルトル]]、[[筒井康隆]]などを論じた卒業論文「想像力の構造」を、早稲田大学で師事した[[平岡篤頼]]が[[朝日新聞]]紙上で激賞したことをきっかけとして、評論活動を本格的に行うようになった。栗本の商業誌デビュー(『別冊新評 筒井康隆の世界』)も、平岡の一文を見た同誌編集長の依頼によるものである。
 
4歳時からピアノを習っていたこともあって、音楽への傾倒も強く、音楽大学への進学を志した時期もあったという<ref name="manga"/>。早稲田大学では、音楽サークル「ハーモニカ・ソサエティ」に参加した。デビュー後もハードロック系バンド「パンドラ」でキーボードを担当していた。作曲を始めたのは「パンドラ」時代であり、その後開始したミュージカル創作活動では、数多くの劇中曲の作曲を手掛けることとなった。バンド活動は晩年まで続けていたが、その方向性は次第にジャズが大きな割合を占めるようになっへと移行しのは作品からも分かる
 
[[長唄]]、[[小唄]]、[[清元]]、[[津軽三味線]]の[[名取]]でもある<!--リンク切れ:<ref>[http://homepage2.nifty.com/kaguraclub/06-6-3ts.html]</ref><ref>[http://homepage2.nifty.com/kaguraclub/04-2-6ts.htm]</ref>--><ref>[http://mitsusin.hp.infoseek.co.jp/kyousitu.htm 小山貢新]。</ref>。また、和歌集『花陽炎春之巻』を自費出版し、2本の歌舞伎脚本も手掛けている。日常的に着物を着用する着物愛好家としても知られており、着物に対する愛着を綴ったエッセイ『着物中毒』を著している。