「重複立候補制度」の版間の差分
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現職の[[自民党総裁]]で重複立候補した者は2000年衆院選の[[石川県第2区|石川2区]]で圧勝した[[森喜朗]]だけである(現職の[[総理大臣]]が重複立候補した例も左記のみ。森は小選挙区比例代表並立制導入以降、自身が73歳未満だった96・00・03・05・09年と5回連続で重複立候補し全て小選挙区勝利している)。
==== 新進党~保守(新)党、公明党、改革クラブ ====
[[新進党]]は、96年衆院選を迎えるにあたり[[党首]][[小沢一郎]]の方針により1つの例外を除き(1996年衆院選の[[比例北陸信越ブロック]]で石川2区の一川保夫と[[福井3区]]の[[松田篤之]]の2人を重複立候補者とし、その2人を同一順位・4位として「名簿」に登載していたという事例が1つあるのみ)、比例代表制選挙では1つの[[比例ブロック]]につき1人しか重複立候補を認めない方針を取っていた。東京での[[東京5区]]の[[野村沙知代]]、南関東での[[千葉10区]]の[[須藤浩]]、近畿での[[兵庫9区]]の[[宮本一三]]、中国での[[岡山4区]]の[[加藤六月]]、九州での[[福岡4区]]の[[東順治]]。北海道、東北、北関東、四国、東海の各ブロックでは重複立候補者皆無だった。
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;[[公明党]]
:新進党分党で結成された新党平和・(参院議員と都道府県議と自治体議員で構成される)公明・(新進党結党以前は公明党属した)小沢自由党離党者で再結成され、99年10月から新進党時代の同僚の小沢自由党~保守(新)党と共に自民党と連立組み更に選挙協力。00年衆院選では重複立候補者が7人存在していた。[[比例南関東ブロック|南関東ブロック]]の[[上田勇]]([[神奈川県第6区|神奈川6区]])・[[富田茂之]]([[千葉県第2区|千葉2区]])の2人の「名簿」順位が同じ3位、[[東京ブロック]]の[[山口那津男]]([[東京都第17区|東京17区]])・[[遠藤乙彦]]([[東京都第4区|東京4区]])・[[大野由利子]]([[東京都第20区|東京20区]])の3人の「名簿」順位が同じ3位、2つ比例ブロックに5人の重複立候補者を存在させ、彼らをお互いに同一順位としていた(他に[[比例四国ブロック|四国ブロック]]単独2位で[[高知県第1区|高知1区]]の[[石田祝稔]]、[[比例北関東ブロック|北関東ブロック]]単独3位で[[埼玉県第6区|埼玉6区]]の[[若松謙維]])。しかし、その重複立候補者7名全員が小選挙区敗北し比例代表で復活当選した者は上田・若松の2人のみだった事もあり、公明党の場合は相乗効果がないと諦めたのか、03年衆院選以降は逆に重複立候補をさせていない。小選挙区制選挙か比例代表制選挙か、どちらか一方の選択となっている。
;[[改革クラブ_(1998-2002)]]
:新進党分党で結成された改革クラブは院内では公明党(同再結成される以前は衆院では平和、参院では公明)と統一会派し更に選挙協力。比例区では全部ブロック不戦敗で公明党への支援を呼び掛け各候補が小選挙区で背水の陣で戦ったが(96年新進党の比例北陸信越ブロック単独候補の党首[[小沢辰男]]は00年不出馬で[[引退]]し応援に専念)、同じく連立政権構築する自民党に候補者立てられ全員落選し政党要件喪失し解散
==== 民主党 ====
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