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===思想制限・ファシズムの時代===
==== 治安維持法 ====
[[1922年]](大正11年)、共産主義インターナショナル[[コミンテルン]]は日本の[[共和制]]への移行をテーゼに掲げた(日本共産党においてはこの22年テーゼは草案段階に終わる)。このような国体変革を狙った外国勢力主導の動きに対して、1925年(大正14年)公布の[[治安維持法]]は「国体の変革」を目的とした結社を禁止し、更に[[田中義一]]が主導した[[1928年]](昭和3年)の法改正で最高刑が死刑に引き上げられた。治安維持法でいうところの「国体」は大審院判決によれば「我帝国は万世一系の天皇君臨し統治権を総覧し給ふことを以て其の国体と為し治安維持法に所謂国体の意義亦此の如くすへきものとす」(大判昭和4年5月31日刑集八巻317頁)とされた。治安維持法により、民主化運動や共和制運動が厳しく弾圧されるとともに、この頃から「国体の変革」が言語的タブーとなる。</br>そうした環境下においてもなお、コミンテルンは[[32年テーゼ]]で、ドイツ語のMonarchieで我が国日本の[[政体]]をドイツ語のMonarchieと規定君主制の転覆を指令した。日本共産党はこれを「[[天皇制]]」と翻訳。天皇制への反対の主張を明確化したが、それゆえに[[民主主義]]と[[共和制]]を目指す運動はいっそう烈しく弾圧された。
 
==== 国体の名を借る政争 ====