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== 来歴 ==
[[オークランド (ニュージーランド)|オークランド]]に生まれ、その後[[クライストチャーチ]]で育つ。父は[[英国]]からの移民で[[スペイン内戦]]、[[第二次世界大戦]]に従軍した人物である。6歳のときに父が[[心臓病]]で死去。オーストリア系ユダヤ人の家系をもつ母親に育てられる。クライストチャーチの公営住宅で母と2人の姉妹と暮らす。バーンサイド高校を卒業後、[[カンタベリー大学 (ニュージーランド)|カンタベリー大学]]で[[商学]](会計学)を専攻する。大学卒業後は会計事務所監査官を経て、服飾工場レーン・ウォーカー・ラドキンに2年間勤務したのち、[[ウェリントン]]へ渡りエルダーズ・ファイナンスで為替取引人になる。オークランドの金融機関バンカーズ・トラストに引き抜かれ7年間勤務したのち、1995年に米国系投資銀行[[メリルリンチ]]に引き抜かれ移籍する。メリルリンチアジア外国為替部門部長(シンガポール支社)、グローバル外国為替部門部長(ロンドン支社)、シドニー支社に勤務し、[[連邦準備制度理事会]]外国為替委員会委員(1999年から2001年まで)を歴任。[[ハーバード大学]]大学院で経営学を学ぶ(なお、ハーバード大学で[[学位]]は取得していない)。外国為替取引で巨額の利益を得た一方、1998年の[[ロシア財政危機]]では巨額の損失を発生されたことからメリルリンチ従業員を大量解雇した。2001年シドニー支社在籍時には[[整理解雇]]で500人を解雇したといわれる。[[感情|情]]もなく解雇する姿から“'''微笑みの暗殺者'''”と呼ばれた。メリルリンチ在籍時の年俸は500万NZドル(およそ3億5千万円、当時レート)、個人資産は5000万NZドル(およそ35億円、当時レート)ともいわれる。
 
政治家志望が強く、元ニュージーランド国民党会長のジョン・スラターの要請を受け2001年にニュージーランドへ帰国する。ニュージーランド国民党に所属し2002年の総選挙にヘレンズビル地区より出馬し初当選を果たす。[[ドン・ブラッシュ]]の側近として財務副報道官(その後財務報道官)に就任する。2005年の総選挙でも当選を果たす。2006年11月にブラッシュの辞任によりニュージーランド国民党党首に就任する。政治家に転身後わずか4年での党首就任は異例の事態であり、ブラッシュ同様政治経験のない人物への手腕が注目された。政治家に転身して6年目の2008年、総選挙でニュージーランド国民党は政権を奪還し第38代ニュージーランド首相に就任。