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===弟子の育成方針と厳格さ===
八方の弟子に対する態度は、自由放任に近い。八方が可朝に入門した理由の一つも「すぐに高座に出られそうだから」で、実際に入ってすぐに高座に出られた。しかし、この自由放任には自己責任が伴っており、[[板東英二]]、更には大師匠の[[桂米朝 (3代目)|米朝]]、また更に従兄弟弟子の[[桂ざこば (2代目)|ざこば]]のように事実、芸や時間や服装には妥協を許さない程厳しく、遅刻した場合は即刻指摘または破門にすると言う厳しい一面もある。
 
八方にこうした厳しい一面があるのは、可朝の門下時代、遅刻もせず更には服装もきっちりとし、師匠や大師匠の米朝らから芸を教わり、更には先輩タレントから絶賛を受けたことや、八方自身が細かいことにこだわり粘着質であるのが遠因となっている。
 
この教育方針は、弟子の個性尊重にも繋がっており、一門のうち、遊方は主に自作を演じ、八天は古典そのものにじっくり取り組み、息子の八光は「[[坊ちゃん5]]」で落語会を開催し更にはタレント活動、方正は古典に取り組みながらタレント活動もするなど、師匠・八方の持つ多面性が弟子たちに分かれて受け継がれている。
 
ある時、八光が「なんばグランド花月」の楽屋で稽古を付けてもらおうと相談に行ったところ、八方は無言で楽屋を立ち去り、そのまま舞台へと向かい、舞台上では入門当時に一度だけやった事があるネタ『[[狸賽]]』を披露したという。当然、花月では全然受けなかったが、その姿勢こそが八光への無言の落語に対するメッセージだったといわれる。