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最も[[叙勲]]された監視員の1人は[[:en:Jacob C. Vouza|ヤコブ・C・ヴォウザ]]曹長で、1941年に地区警察から引退し、監視任務に志願した後捕らえられ、残虐な[[尋問]]を受けた。 ヤコブは生き延びて逃亡し、[[アメリカ海兵隊]]と接触して日本軍の攻撃が差し迫っていることを警告した。ヤコブは負傷から回復した後、海兵隊のため偵察を継続した。 彼は、[[:en:Legion of Merit|米軍功章]]の銀星章を授与された後に[[ナイト]]として[[大英帝国勲章]]第五位に叙された。
=== 日本軍司令部へのスパイ活動 ===
日本軍は[[ショートランド島]]に水上機の拠点を持っており、さらに[[サンタイサベル島]]にも前進拠点を構築して発着に使用していた。この前進拠点はレカタ基地と呼ばれていた。基地の指揮官は現地住民のある青年を可愛がり、食べ物や日用品を与えるばかりでなく、司令官の私室すら自由に出入りさせていたが、この青年は監視組織の指揮下にあり、彼の敵情報告は全て[[レンドバ]]の連合軍に通報されていたと言う。このことを戦後知った元海軍士官の野村良介は、警戒厳重なショートランドより情報が取り易かったのではないかと推測している。また、[[暗号解読]]より住民の監視網による報告の方が価値があった可能性も指摘した<ref name = "Kaihei56-Nomura" />。
なお、当時の連合艦隊司令長官[[山本五十六]]の搭乗機撃墜については、撃墜を実施した戦闘機部隊に対しては沿岸監視員からの報告で飛行予定が判明した旨を説明した一方で、実際には暗号解読によって飛行予定を突き止めた旨が[[エドウィン・レイトン]]等により語られている<ref>エドウィン・T・レートン(Edwin T. Layton)著 毎日新聞外信グループ訳「エピローグ 東京湾へ」『太平洋戦争暗号作戦(下)』P321<br />もっとも、野村良介は暗号解読で撃墜したという戦後の発表を知った上でそのような感想を抱いた。</ref>。 === ジョン・F・ケネディ中尉の救助 ===
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