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|併合学校=
|校訓=
|設立年月日={{和暦|[[1950}}年]]([[昭和]]25年)
|記念日名称=
|創立記念日=
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|郵便番号=649-2332
|所在地=和歌山県西牟婁郡白浜町栄320
|外部リンク=[http://(WebサイトのURL) 公式サイト]
}}
'''白浜町立富田中学校'''(しらはまちょうりつ とんだちゅうがっこう {{lang-en|Tonda Junior High School}})は、[[和歌山県]][[西牟婁郡]][[白浜町]]にある[[公立学校|公立]][[中学校]]。[[2010年]]現在で、1から-3の各学年にAからDまで、各4学級。
 
==概要==
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== 開校の経緯 ==
{{和暦|[[1948}}年]](昭和23年)の新学制の実施に伴い、この地域にも中学校が必要となった。この頃、この地域は東富田村・西富田村・南富田村・北富田村の4村があったが、この「四富田4が協議した結果、4村をまとめて1つの中学を設立し、組合立とすることを目指すことが決定された。そのためにまず暫定的に東北と西南で各1校を4月に開校した。それから関係団体等は協議を重ね、{{和暦|[[1950}}年]](昭和25年)に南富田村に校地を決め、この年の3月までに[[地鎮祭]]、上棟式を行った。この四富田村学校組合立富田中学校は組合立中学校の他町村に先駆けてのケースとなり、文部大臣から表彰を受けた。
 
なお、この過程は4村の協力ですんなりと決まった、というわけにはいかず、様々な軋轢もあった。中学校建設のために設立された事務組合の管理村長は当時の南富田村村長であったが、彼の回想録では土地を決めた際に関係耕作者10人ばかりが抗議に押しかけたのに対して、自らの首をかける旨を述べて説得したこと、地鎮祭には村内の反対ムードに気兼ねして東富田・北富田の村長などが不参加であったこと、しかし上棟式には全員が参加して、涙ながらに挨拶したことなどを述べている<ref>白浜町(1985)、p.314</ref>。
 
{{1950年(昭暦|1950}}の825年)8月に第一期工事が終了し、鮎川中学から校長が赴任、また暫定的に設置された富田第一・第二中学の教師も赴任して開校の陣容が整ったが[[9月3日]]、[[ジェーン台風]]が来襲、校舎は大破し、同11日の開校式は校庭で行われた。9月末にはPTAも組織され、校舎の第二期工事も完成し、台風災害も復旧され、[[10月28日]]に落成式が行われた。
 
== 沿革 ==
*{{和暦|[[1947}}年]](昭和22年) - '''東富田村・北富田村組合立富田第一中学校'''が東富田小学校に併設され、'''西富田村・南富田村組合立富田第二中学校'''が南富田小学校に移設される。
*{{和暦|[[1950}}年]](昭和25年) - 開校準備
*{{和暦|1950}}年(昭和25年)[[9月27日]] - 開校式
*{{和暦|[[1951}}年]](昭和26年)[[11月3日]] - 優良施設校として文部大臣表彰を受ける
*{{和暦|[[1954}}年]](昭和29年) - [[和歌山県立熊野高等学校]]定時制富田分校(後の県立南紀高等学校富田分校)を併設
*{{和暦|[[1955}}年]](昭和30年)[[9月11日]] - 町村合併に伴い'''富田学校組合立富田中学校'''と変更し、校歌を制定する
*{{和暦|[[1958}}年]](昭和33年)[[7月1日]] - 富田村と田辺市西富田地区が白浜町に合併のため、校名を'''白浜中立富田中学校'''に改称する
 
== 校区の範囲 ==
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* 学校要覧(平成22年度版・白浜町立富田中学校)
* 白浜町誌編纂委員会編、『白浜町誌 本編 下巻二』、(1985)、白浜町
 
== 外部リンク ==
{{節stub}}
 
{{School-stub|pref=和歌山県}}
{{DEFAULTSORTデフォルトソート:しらはまちようりつとんたちゆうかつこう}}
[[Category:和歌山県の公立中学校|しらはまちようりつとんた]]
[[Category:白浜町|とんたちゆうかつこう]]