「下呂温泉」の版間の差分
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[[延喜]]年間から[[天暦]]年間の頃に、現在の温泉地から離れた場所である、湯が峰の山頂付近に温泉が湧出したのがはじまりである。
[[文永]]2年([[1265年]])に山頂からの湧出は止まったが、現在の温泉地である益田川の[[河原]]に湧出しているところを、薬師如来が姿を変えた白鷺の導きで発見されたと言われる下呂温泉。このことは[[開湯伝説]]における[[白鷺]]伝説として伝わる。温泉地は飛騨川の氾濫の度に壊滅的な被害を受けてきたが、その度に復興してきた。
また、「下呂」の名前は昭和以降に使われ始めた名称で、それ以前は「湯之島」と呼ばれていた。この「下呂」の名の起源は律令時代に遡り、駅伝に用いられた「下留」駅が、時代が下って音読みする様になり、転じて現在の音と表記になった。
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