「原水爆禁止日本国民会議」の版間の差分

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==概要==
[[1965年]]に[[部分的核実験禁止条約]]の賛否をめぐって[[原水爆禁止日本協議会]](略称「原水協」)の中の[[日本社会党]]・[[日本労働組合総評議会]]系グループが条約に賛成する立場から、原水協の主流派だった[[日本共産党]]系と対立、脱退して結成した。この分裂のとき、当時の[[ソビエト連邦|ソ連]]が原水禁を全面的に支持した<ref>「統一の路線と分裂の路線」(『核兵器廃絶を緊急課題として』(日本共産党中央委員会出版局、1984年刊行)p21)</ref>。
 
原水禁自身は、原水協が「ソ連の核開発に賛成した」ことや、「本来は[[反核団体]]である原水協ではなく[[反戦団体]]・[[平和団体]]が取り組むべき[[安保闘争]]を反核運動に持ち込んだ」ことなど<ref>[http://www.gensuikin.org/whatis.html 原水禁ホームページ_原水禁とはなにか?](原水禁ホームページ)</ref>を原水禁結成の理由として強調している。
 
[[原子力発電]]廃絶運動も積極的に取り組んでいる。核廃絶は「究極的目標」としており、また、[[NPT核拡散防止条約]]体制には好意的であり、基本的に政府と共同歩調をとっている。
 
1980年代には何度か原水協と合同で集会を開催。現在は[[核兵器禁止平和建設国民会議|]](略称「核禁会議]](」。旧[[民社党]]・[[日本労働組合総同盟]] 日米安保や原発問題への姿勢対立でやはり原水協から離脱した)と共闘関係で、核禁会議・[[日本労働組合総連合会|連合]]と行動を共にすることも多い。ただし、核禁会議は「原子力の平和利用」であるとして原発を推進しているため、反原発については単独行動が主となる。
 
== 本部 ==