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その後、複数のクラブを渡り歩き [[大分トリニータ]]に所属したのを最後に、[[2006年]][[11月20日]]に現役引退を表明。2007年3月からは、[[スーパーJチャンネルおおいた]]の「増田's EYE」で大分トリニータの試合分析を行う他、2009年9月まで[[HOYO Atletico ELAN大分]]の監督を務めた。また、大分トリニータスクールコーチ、CSのサッカー中継(基本的に九州石油ドーム開催試合のみ)[[解説者]]等を務めている。
[[東北地方太平洋沖地震]]後、[[twitter]]上で[[スポーツ振興くじ|toto]]のキャリーオーバーを義捐金に回せないかと発言。日本サッカー協会副会長の[[田嶋幸三]]に電話連絡したところ、田嶋幸三は「新しい意見、是非協力したい」と返事をした。しかし、キャリーオーバーは当選金に使うものと法律で決まっているため、犯罪になるという点についてリツイートした人が何名もいたが、増田は「緊急事態の時もですか?」「totoの規約に国家的非常時にはキャリーオーバー金の全額もしくは何パーセントか寄付するような規約を作っても良いと思う」「反対してる人はそう言う意見よりも。もっと違う感情みたいですよ。人の金に手を出すな的な」と、法律の意味もわからず感情論での発言を繰り返し、「収益金もスポーツ振興なんかに使わないで全額寄付したらいいんじゃないの? 緊急事態なら法律無視して出来るんでしょ?」とリツイートしてきた人に対しては、「それは違う話になってませんか?」と、なぜか収益を義捐金へとは考えなかった。後日、増田自身から「日本スポーツ振興センター法を調べる中で、これまでのキャリーオーバーのお金を義援金に回わすのが難しい」と発言し、自らがサッカーに関わってきたにも関わらず、サッカーくじtotoを理解していなかったことを露呈した。キャリーオーバーを義捐金にという話を受け、競輪選手の[[下沖功児]]も、競輪場で発生しているキャリーオーバーを義援金に回せないかという提案を、社団法人日本競輪選手会に電話で打診したが、こちらは増田と違い法律や重勝式勝者投票法に拠る加算金の仕組みを理解していた。
[[2011年]]4月22日、鹿島時代に同チームで一緒にプレイした[[鈴木隆行]]について、Twitter上で鈴木が2010年に引退しており今後はサッカー関連の仕事に就くとツイートし、インターネット上で広まる<ref>[http://twitter.com/#!/Masunald/status/61060170754686976 (現在は削除)MasunaldのTwitter発言]</ref>。だが鈴木の所属事務所は「今後に関しては現時点で未定ですが、現役続行も含めていろいろな可能性がある状況です」として引退を否定。その後、現役続行を視野に去就を待っているという{{要出典|date=2011年04月24日 (日) 14:46 (UTC)|}}。鈴木の引退を発した増田も引退ではなく今後については模索中だと訂正・謝罪した<ref>[http://twitter.com/#!/Masunald/status/61309511301996544 2011年4月22日のMasunaldのTwitter発言]</ref>。
==所属クラブ==
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