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しまあじ (会話 | 投稿記録)
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同様に「全てが今の物理学の物理法則によって記述されている。なぜそうなのかというと、今の物理学の物理法則というのは自然の全てを記述しているからだ。」という循環論法に陥っている思考・信仰は[[物理主義]]と呼ばれている。(物理主義に陥ってしまっている人の考えはともかくとして)[[物理法則]]というのは人間が恣意的に作り出した記述にすぎず、自然そのもののありかた([[自然法則]])とは異なっている、と哲学者たちによって指摘されている<ref name='IEP'>{{IEP|l|lawofnat|Laws of Nature|『[[インターネット哲学百科事典]]』内の「自然法則」の記事。}}</ref>。物理主義というのも[[原理主義]]だと指摘されている<ref>養老孟司、茂木健一郎 『スルメを見てイカがわかるか!』 角川書店、2003年、p.100-124「原理主義を超えて」</ref>。
{{要出典範囲|同様に「自然とは(現在の)自然科学によって説明されているものだけだ。なぜなら(現在の)自然科学だけが自然を説明しているからだ。」あるいは「《自然》とは科学によって説明されているものだけだ。そして科学によって説明できないものは《自然》ではない。なぜなら、科学は《自然》の全てを説明しているからだ。」という理屈や「《自然》以外を「超自然」と呼ぶのなら、そのような《[[超自然]]》は一切存在するはずがない。なぜなら自然科学は《自然》の全てを完全に説明しており、その(自然科学の説明する)《自然》がこの世界に存在することの全てだからだ」という理屈も循環論法に陥っている。こうした(上述のイスラム教徒の論理にも似た)循環論法に陥った人は、自分の思考様式を「[[科学的懐疑主義|“科学的”懐疑主義]](※)」と自称している。(こうした“科学的懐疑主義”は、上記の物理主義者がしばしば陥る態度であり、同一人物がしばしば物理主義と“科学的懐疑主義”なるものを信奉する。)だが、彼らが「科学的<u>懐疑主義</u>」と自称しているものの、[[懐疑主義]]者らのほうは基本的に、“科学的懐疑主義”なるものは懐疑主義とは別のもの、異質のものだと判断しており、“科学的懐疑主義”なるものは一種の信仰体系なのであると判断していることもある。また “科学的”と自称しているが、果たして本当にその方法論や論法が「科学的」と呼べるようなものなのか、疑念を呈する人もいる(※)。]]|date=2011年7月}}
 
{{要出典範囲|:<small> (※)なお、論者たちが自分の説や論法に勝手に「科学的」という形容詞を冠してしまって、美化している(あるいは美化しているつもりになっている)いたとしても、当人が自称しているということと、他者から見てそれが本当に科学的と判断されているか、ということはまた別の問題である。当人たちが科学的なのだと考えて「科学的」という形容詞をつけていても、他者は、科学ではない、[[疑似科学|科学のニセモノ]]だ、と判断することがある。歴史的にはそういうことが何度も起きている。(後述)</small>|date=2011年7月}}
 
経済学関連では、しばしば様々な説や理論が循環論法に陥っている、と指摘されている。
例えば循環論法に陥っていた有名な事例として、[[カール・マルクス|マルクス]]の主張した「[[労働価値説]]」がある。この説が循環論法に陥っているという問題点は、[[オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク|べーム=バヴェルク]](1851-1914)によって指摘された。具体的に言うと、マルクスは『[[資本論]]』の第1巻で『商品の価格は投下労働量で定まる』と主張していたのだが、同書の第3巻1~3篇では『商品価格は商品の生産コストである「費用価格」に「平均利潤」を加えた「生産価格」で決まる』(結局、商品の価格は市場の需給で決まる)と主張しており、循環論法に陥っていた。べーム=バヴェルクは単純労働と専門的労働の双方に必要とされる平均労働時間と商品価値がどのような関係にあるかを研究していたのだが、その中で、マルクスの主張した労働価値説が循環論法に陥っていることに気付き、論文「マルクスとその体系の終結」においてそれを指摘したのであった。{{要出典範囲|べーム=バヴェルクのこうした指摘のおかげなどもあって、マルクスの言説というのは、(当時、それを真に受けた者の間に熱烈な信奉者を生んでいたのであったが、またマルクスは自説を「<u>科学的</u>社会主義 (※)」などと呼んでいて、それを真に受けて科学的だなどと信じている人も多かったのだが)、マルクスの言説というのは、科学というよりもただの[[イデオロギー]]的な言説にすぎない、ということが人々に知られるようになり、説得力を失うことになった。その後、マルクスを熱心に信奉する論者が幾人も、何とかマルクスを擁護しようと、さまざまな論争を行ったものの、それによって擁護ができたというよりもかえってマルクスの説の体系の様々な問題点が浮き彫りにされてしまったような面もあり、結局、第三者から見て労働価値説はやはり科学や学問ではないと見なされ、政治の現場や運動家らの間では政治的な主張としての価値は変わらない、と考えられもしたが、(経済学などの)学問の世界においてはもはや十分に学問としての正当性はない、とも見なされるようになり、その価値は消極的に認められるにとどまるようになった。|date=2011年7月}}
 
:{{要出典範囲|<small>(※) マルクスは自分の政治的な論を勝手に「<u>科学的</u>社会主義」などと呼び、当時それを真に受けて、てっきり“科学的”だと信じてしまっていた人々も非常に多かった。例えば、若き日の[[カール・ポパー]]もマルクスの説に心酔していたが、ある日、マルクス主義者たちが極端な暴力に走ったり、「マルクスの説は完全だ。なぜなら、新聞に書かれている出来事の全てがマルクスの説によって説明できるのだから」といった主旨のことを述べているのを聞いて、マルクスの説は根本的に何かがおかしい、と気付いたという。(当時の西欧では、マルクスの説や、アインシュタインの説や、フロイトの説などが先端の説として熱狂とともに迎えられ、若者の間で非常に流行していたわけであるが)やがて、ポパーは、マルクスの説のような説と、アインシュタインの説のようなものとは一体どこが異なっているのか? ということに考えを巡らせるようになり、つまり[[線引き問題]]に思いを巡らせるようになり、やがて[[反証主義]]を構築してゆくことになった。ポパーは、マルクスの論のような説、それだけで自己完結してしまっていて、閉じた構造ものは、科学ではない(当人たちに科学だと主張され、そう見なされることがあっても、科学としての要件を満たしておらず、[[疑似科学]]だ)、と指摘するようになった。ポパーは、言説というのは(言説だけで)閉じた構造になっていてはいけない、言説は(言説の外の世界に対して)開いた構造(openな構造)になっているべきだ、と判断するようになった。</small>|date=2011年7月}}
 
:{{要出典範囲|<small>当時、マルクスは自分の主張した社会主義のことを“<u>科学的</u>社会主義”、と呼称し、人々を扇動したわけだが、現在では結局、一般に、マルクスの主張した社会主義は“科学的”などとは全然見なされていないのである。</small>|date=2011年7月}}
 
マルクス経済学([[マルクス主義]]経済学)を経営学に応用(転用)したものがいわゆる「<u>批判</u>経営学」というものである<ref name="keieigakuriron">裴富吉『経営学理論の歴史的展開:日本学説の特質とその解明』三恵社、2008、p.2-4</ref>が、この“批判経営学”なるものは、「“搾取システムとしての資本主義”の“正しい認識”のためには、搾取される労働者階級の立場に立つことが必要であり、その立場の階級的意味の正しい認識は、資本主義の“正しい”認識によってはじめて得られる」という循環論法を用いている<ref name="keieigakuriron" />。こうした循環論法の中に入ってゆくということは(一種の)“[[信仰]]”の力を借りるしかなったと([[皮肉]]も込めて)言われている<ref name="takeuchi">竹内靖雄『経済学とイデオロギー - 市場経済の論理と倫理 -』日本経済新聞社、昭和51年、p.287</ref><ref name="keieigakuriron" />。